若い侍たちが数名、縄のれんをくぐった。一膳飯屋の薄暗い店内に戸惑ったのもつかの間、隅に陣取る男を見つけ、あたふたと駆け寄った。「先生」「先生」と、口々に呼びかける。
先生と呼ばれた男は用心棒と云った風体である。素浪人らしい。大柄な身体を丸めて、手酌でちびちびと酒をたしなんでいる。
「先生」
もう一度呼ばれてから、男はゆっくりとこちらを振り向き、侍たちをちらりと見てから、またソッポを向く。
「五月蝿い奴らじゃのう。見れば判るではないか。わしは好物の卯の花で一杯やっておる。邪魔するな。」こう云うと、猪口を口元に運ぶ。
「先生、折角お会いできたのですから、拙者の話をお聞きください。」と懇願するような目つきの侍。
「何がお会いできたじゃ。峠の茶屋から、このわしをずっとつけて来たではないか。」と素浪人。気付かぬふりをしながら、侍たちの尾行は知っていたらしい。この男、出来る。
やや年嵩の侍が遠慮がちに、男の正面に腰を据える。
「先生、いつまでも諸国漫遊などしている時ではございません。震災で奥羽と三陸が壊滅後、三月近くも経ちながら、幕府は何ら手を打たぬ有様。被災した民百姓が呻吟していることお聞き及びでございましょう。江戸の町民どもも、幕府が悪いと騒ぎ出し・・・」
その話聴くに及ばぬとでも云うように、手でさえぎった男。声をぐっと潜めて、つぶやく。「倒幕か」
無言で頷く侍たち。安酒場にて大声で話せる類いではない。
素浪人はゆっくりと語り出す。
「不信任案を提出するのはよいが、仮に否決された場合でも幕府が悪いと云うことにせねばのう。拙速はいかん。それに」
と、ここで酒をぐいとあおり、
「鳩山や小沢とは目指すところが異なろう。仮に可決したとて、意見の合わぬものと一緒になれば、野合ではないか。」
と云った。
侍がかっと目を見開いて反論する。
「お待ちください、先生。不信任案提出は、既に谷垣様の命でございますぞ!」
これには驚いた様子の男。「何、あの谷垣殿が!?け、決意なされたのか、本当か?」
江戸を離れていた素浪人には、意外な展開であった。あの大人しい、虫も殺さぬ人物が謀反を決意するとは。
「事態は風雲急を告げております。先生には早速、江戸にお戻り頂きませんと」と畳み掛ける侍。やや、間があって、男は短く答えた。「分かった」
暫くして大ぶりの徳利が空になったのを確かめると、素浪人は長尺の刀を肩にかついで立ち上がり、さっと飯屋を出た。街道をすたすたと歩き始めた男を侍達が追う。
「先生」「先生」と、口々に呼びかける。
「先生、方向が違います。江戸はあちらでございます」
「いや、かまわん。こっちでいいのじゃ」男はにっこり笑って、西の方角を指差した。「これから鳥取に向かう」
あっけにとられる侍たちに向かって、こう云った。
「おぬしたちも国に帰れ。解散総選挙じゃ。」
風が強くなった。黒雲が迫っている。