欧米ではクリスマスイブにやって来るサンタクロースのため、子供たちがミルクとクッキーを用意する習慣がある。寒くて遠い国からプレゼントを抱え遥々やってくるサンタさんへの感謝のしるしだ。一種のお供えと云ってもいい。
ツリーの傍にお供えを用意した翌朝、目覚めると、待ちに待ったプレゼントが届いている。ふと見れば、ミルクもクッキーも飲み食いした形跡がある。ああ、やっぱりサンタさんが来てくれたんだ。親が適当に飲み食いしたと子供たちは知らない。
実は子供の頃、同様にミルクとクッキーを用意した記憶がある。日本のクリスマスは今でこそ恋人と過ごす愛のイベントみたいになってしまったが、かっては欧米から伝統的なクリスマスを直輸入した雰囲気があった。思えば進駐軍によるキリスト教化政策だったのだろう。
もっとも親は戦争世代だから、形式的にクリスマスを受け入れたものの、ハナから真面目に祝う気がない。居間に小さなツリーを立て、母親に頼んでミルクとクッキーを用意したところで父親が、果たしてサンタともあろう男がそんなモノ喜ぶのかと云いだした。
相手は六尺豊かな爺さんだ。ソリを飛ばし日本にやって来たら、ミルクとクッキーじゃ余りにも失礼だろう。父親はそう云った。そうか、じゃどうすればいいのだ。こちらはプレゼントが欲しいから、何かお供えしなきゃと気が気じゃない。
酒だ。父親はしたり顔で続けた。
冷え冷えとした夜だからこそ、ここは酒が一番だ。お銚子を2−3本用意しよう。いや、今、温める必要はない。サンタが来たらお母さんが燗をつける。相手は仕事中だ。つまみはあっさり塩辛か佃煮くらいでいいだろう。そこのお盆に乗せて。そうそう。さ、お前は早く寝なさい。
翌朝、プレゼントが届いていた。で、用意したお銚子が空になって転がっていた。つまみの乗っていた皿も空だし、箸も使った様子だ。父親に聞くと、昨晩、確かにサンタが来たと云う。最初は遠慮していたサンタも調子が出て来て、「旦那、もうちょっと」とお銚子を何本もお替わりしたらしい。最後はろれつも回らなくなり、這うようにして出ていった。あれだけ酔うとソリから落ちたかも知れないな。父親の言葉にはとても信憑性があった。
これが毎年恒例だったので、自分の家に来るサンタは酒飲みなのだと信じていた。幼稚園だったか、小学校の低学年だったか、昨日もサンタが家で飲んでいったと話して、周りの大人たちを爆笑させた。冗談じゃない。こちらは頑に信じていたのだ。
さて、話は変わる。
石原都知事と橋下大阪市長の対談を面白く読んだ。さすがだ。如何にすれば行政を変えられるのか、具体的な処方箋が並んでいる。日本を良くしようと云う確固たる決意も見える。読んでいて嬉しくなった。この対談は悩める日本人へのクリスマスプレゼントだ。
それにしても今どきの世の中で単式簿記だなんて、なぜ役所はそんな馬鹿げたコトをしているのだ。複式簿記に改めなくては、財政の全体像を捉まえようがないだろう。石原都知事の主張に頷くばかりだ。
えっ、冒頭のミルクとクッキーと石原・橋下対談に何の関係があるのかって?
ない。何にもない。クリスマスと云うことでちょっと書いてみただけだ。時差の関係で当地LAは今日、クリスマスデイだ。それに明日は振替休日だし。
クリスチャンじゃないから、特別なコトは何もない。のんびりリラックスして取り敢えず飲む。サンタが飲もうと飲むまいと、クリスマスはひたすら飲むのだ。
posted by yohkan at 06:48|
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石原慎太郎
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