
衆院選における次世代の党の敗北は、少数政党の弱さや戦略の失敗のみならず、卑劣な妨害工作によるものらしい。しかし真の敗因は、投票前に石原さんが引退を仄めかしたことだろう。

日本維新の会を飲み込む奇策で、第三極を一大勢力に仕立てたのは、同氏の求心力と存在感に他ならない。維新分裂で元の木阿弥に帰し、表看板の石原さん不在となれば、次世代が輝きを失うのは当たり前だ。
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石原慎太郎氏は太陽だ。政界を、いや日本全体を明るく照らしてくれる。閣下が病床に伏せていると聞き、ご高齢ゆえ心配していたが、お元気な姿を見せてくれた。「俺が死んだら日本は退屈になるぞ」って、なんと素敵な台詞なのだ。そう、国民はまだまだ退屈したくはない。
今、ここで石原閣下に倒れられちゃ困るのだ。旧立ち上がれ日本の愛国議員たちを引き連れて橋下一派と合体し、押しも押されもせぬ政党を誕生させた政治手腕には舌を巻く思いだが、維新はまだまだよちよち歩きだ。綱領案こそ示したものの、具体的な政策提言すらこれからだ。
国会における石原閣下や中山議員の質問や、安倍総理や閣僚の答弁を聞き、心躍らせた国民も多い筈だ。これまで長年、見続けてきた反日色の強い不毛の論議はそこにない。国思う与党と野党の真摯で熱い討論がやっと国会に戻ってきたのだ。是非これからも、安倍自民党と丁々発止の遣り取りを続けて欲しい。
それにしてもイースター(復活祭)に復活宣言するとは、いつもながら石原閣下の演出は心憎い。ついに春が来たなと誰もが感じる。何だかうきうきと嬉しくなる。
石原新党がついに旗揚げする。政党名は「太陽の党」だ。石原さんの衝撃的なデビュー作「太陽の季節」を思わせるし、ご本人がわが国の政界を明るく照らす太陽みたいな人だ。「太陽の党」は湘南のヨットマンに相応しい素敵な名前だ。
憲法改正や教育改革や官僚支配の打破を主張する太陽の党は、わが国の抱える諸問題を解決するための具体策を示し、きっと政界の中心で燦然と輝いてくれるだろう。卓越した見識と発言力で、まさに日本のご意見番政党として、なくてはならない存在になる筈だ。
但し残念なことに、その太陽の党が、日本維新の会やみんなの党に連携を呼びかけている。政治には数が必要だし、第三極の結集もわからぬではないが、相手はいずれも胡散臭い政党だ。然したる国家観も政治理念もなく、ムードを煽って票集めする姿勢は、かっての民主党に近い。顔ぶれを見ても凶悪な人相が多い。太陽の党とは体質的に、水と油ではないのか。
私見ながら、太陽の党が本来、提携を呼びかけるべきは自民党だ。立党の精神を忘れ、いつの間にか憲法改正を封印した自民党だが、同党に潜む反日分子を叩き出せば、太陽の党とぴったりと息の合う保守政党に生まれかわれる。太陽の党が投げかける明るい陽射しを浴びて光り輝くのは、安倍総裁率いる自民党であって欲しい。
石原慎太郎氏は父性を感じさせる人だ。圧倒的に強くたくましく、頼りがいがある。知性豊かで、ひと言、ひと言に権威と風格と重みがある。頑固一徹で曲がったことは許さない。祖国や家族への愛情が深く、人情家で案外涙もろい。現代風の友達みたいな話し易いパパではないけれど、伝統的な「理想の父親像」だ。
こうした立派な父親を前にすると、成長期の男の子達は複雑な悩みを抱える。愛情や尊敬を感じながらも、一方で、乗り越えられぬ父親の存在に圧迫感を覚える。父親と一緒にいれば嬉しいのに、幼児みたいに無邪気に甘えることが出来ない。素直に教えを請う気持ちにもなれない。
唐突だが、維新の橋下氏はちょうどこんな感情を石原氏に対して抱いているのではないかと思う。石原氏が提唱する第三極連合の大同団結案に対し、橋下氏がたちあがれ日本との考え方の差異をことさら主張するのも、若者の反抗期みたいに見えなくもない。背伸びして精一杯大人に見せたい虚栄心かも知れない。
思うに、橋下氏には思想も理論も哲学も何もない。モノの弾みで政界に飛びこんだTVタレントだ。しかし何故か、旧来の政治制度をぶち壊したいと云う、凄まじい闘争心としぶとさを持っている。若年寄みたいな聞き分けのいいお役人タイプが多い日本社会だけに、随分目立つ個性だ。年長の石原氏から見れば、元気でやんちゃなカワイイ息子みたいな存在か。
最近の橋下氏にはおかしな反日発言が多いが、石原氏の目には、若者が聞きかじりでサヨク思想を語るような未熟さと映って、ますますカワイクなっているのではないか。間違っているからこそ教育のし甲斐がある。橋下氏に一緒にやろうと声をかける裏には、こいつは育てれば伸びるぞと云う期待と、自らの政治理念を教えてやりたい気持ちがあるのだろう。しっかり、まっすぐ大きくなれよ、と云う石原氏の声が聞こえてきそうだ。
もっとも世間では父親の期待は往々にして裏切られる。石原新党が大同団結すべき相手は維新ではないような気がする。
石原慎太郎氏の知事辞任は残念と云うのが都民の本音だ。4期に亘る石原都政は、文化や経済における東京の存在感を飛躍的に高めただけでなく、困難と云われた財政再建を果たし、都市機能や防災体制を着実に強化しれくれた。以前の都知事、例えばアオシマダ〜なんて男を思い出すと、雲泥の差がある。叶わぬコトではあれ、石原氏にいつまでも都知事を務めて頂き度いと願うのが人情だ。
そうは云っても、無能な民主党政府により日本国家が極度に衰退した今、石原氏が国政に復帰頂けるのは本当に有難い。政界再編の起爆剤となり、日本復興の中心人物に成り得る方だ。都を離れてしまうのは淋しいが、石原氏を全力で応援しないワケにはいかない。良識派都民の気持ちを代弁するなら、こんな感じだと思う。
唯一の不安は、都政における石原路線の継続性だ。年末の都知事選で能力の劣る人物が選ばれたら、石原都政が築いた東京の暮らし易さがあっという間に消滅するかも知れない。都民の声が反映されることなく、無機質で非効率な官僚政治に戻ってしまう恐れだってある。東京に暮らす者にとっては深刻な問題だ。
出来ることなら、誰かバトンをしっかり受け取って、真っすぐ石原路線を突っ走って欲しい。こう願わざるを得ない。と思って、ぐるりと周囲を見渡せば・・・・。いるじゃないか。猪瀬副知事だ。石原知事と共に歩み、実質的に都政を引っ張ってこられた実力者だ。石原氏を熱狂的に支持した都民にとって、猪瀬氏以外の選択肢はない。
巷では東国原氏の立候補が噂されるが、ふざけちゃいけない。世界の国際都市、大東京は宮崎県とは違う。法被を着て地鶏の販売に精を出せば、それで済むものじゃない。都民は「そのまんま東」なんぞ望んでいない。「そのまんま猪瀬」こそが望みなのだ。
新党結成を語る石原閣下の言葉が胸に染みる。そのひとつひとつに深く頷き、気がつけば感涙が頬を伝う。政界における確かな実績と豊かな経験。歴史に学び未来を見通す知性。国際的で現実的な視野の広さ。そして何よりも、ほとばしるような愛国心。まさに理想とすべき政治家が、祖国のために命を懸けてくれる。
さあ、今こそ、わが国を覆う反日敵対勢力との戦いに勝つために、虐げられた日本国民が立ち上がるときだ。立派な民族指導者たる石原閣下を先頭に、われわれ国民があとに続く。目指すは、日本の復興だ。素晴らしき伝統文化と歴史に彩られた、誇るべき真の国体をわが手に取り戻すのだ。
イメージの沸かない人は、旧約聖書の「出エジプト記」を思い浮かべればいい。エジプトの奴隷だったイスラエル人はモーゼに率いられて脱出を図り、約束の地へと向かう。しかし、紅海の淵で、ファラオの軍隊が背後に迫り、絶体絶命のピンチに陥る。そこでモーゼが杖を振り上げると、海が真っ二つに割れ、海底に道が出現する。神に守られたイスラエル人が無事逃げた直後、追っ手の軍勢は荒波に飲まれて海の底深く沈んでしまう。こういう話だ。
もちろん旧約聖書とは設定が違う。われわれが日本列島から逃げるわけじゃない。むしろ日本を日本国民にとって約束の地とすべく、反日敵対勢力を追い出してしまいたい。神に祈れば、日本海や東支那海は真っ二つに割れて、外国人を蹴り出すべき道が出現するだろう。無事、帰国して欲しいものだが、もちろん荒波に飲まれて沈む可能性もある。ま、その時はその時だ。
石原モーゼはいろいろな発言を通じて、彷徨える日本国民に日本国の有るべき姿を示してくれた。自衛隊を国軍とせよ、日米同盟を強化せよ、核保有のシミュレーションをせよ、皇室の男系存続を守れ、国家の会計制度を複式簿記にせよ、等々の有難い教えだ。イスラエルの神がモーゼに与えた「十戒」と同様、日本の神の意志として受け止めたい。
巷では石原閣下に批判的な人々もいるようだが、それはそれで、致し方ないことだ。モーゼに反対し、エジプトで隷属状態の継続を望んだイスラエル人だっていたのだから。しかし、これだけは云いたい。石原閣下の80歳と云う年齢には何の問題もない。モーゼが神のお告げを聞いたのが、ちょうど80歳、約束の地を目の前にして息を引き取ったのは、120歳だった。
支那は敵国だ。過激な反日暴動を演出し、漁船や監視船をわが領海に繰り出して挑発行為を続ける。尖閣沖を自国領海に含めた海図を作成し国連に提出する。世界各地でデモを催して反日プロパガンダを垂れ流す。いずれ人民解放軍による領土侵略がはじまるだろう。われわれも武器を取って戦う時だ。
にもかかわらず、日中国交正常化40周年式典のため、わざわざ訪中する馬鹿がいると聞いて驚く。例えば河野洋平だ。この期に及んでも、あんな国と国交を結ぶこと自体が異常だとの認識すらない。一体いつまで「日中友好」の幻想にすがりつくのか。
もっとも支那が敵国だと認識出来ない馬鹿は、売国政治家に限らない。支那が幾ら横暴に振る舞おうと、いやいや、あれは向こうが悪いんじゃないと主張する左巻きがいる。元々、中国様と尖閣問題は棚上げしようと申し合わせていたと、自国領土放棄覚悟で敵を擁護する。
それがいつの間にか悪いのは日本だと云う論調にすり替わり、挙句の果てはそもそも揉め事を起こしたのは石原だ、となる。中には、石原知事の背後にはアメリカが居て日支間の紛争で一儲けするつもりだと、妄想が生んだ陰謀論を展開する奴までいる。国家の危機に日米離反を画策するのは、身も心も支那に捧げた畜生共だ。
個人の地権者だろうと東京都だろうと日本政府だろうと、誰が所有しても尖閣諸島は厳然たるわが国の領土だ。他国が暴動を起こそうと不法侵入しようと、日本の領有権はぴくりとも動かない。ヤクザ国家の脅しに屈して自国領土を棚上げする必要はない。実効支配を強化せよ。侵入する敵を武力で撃退せよ。自分の家を守るのに、何の遠慮がいるものか。国だって一緒だ。
石原知事は売国奴共の誹謗中傷にひるむ様子もなく、尖閣防衛は「寄らば斬るぞ」で行け、と力強い言葉を下さった。そうさ。それでこそ、われらが愛する日本だ。サムライの国だ。不埒な敵はぶった斬る。