氏は人生を通じ、政界・言論界あるいは文学界の大スターとして君臨し、昭和のアイコンとでも呼ぶべ銀幕の大スター、実弟の故石原裕次郎氏をも凌ぐ輝きを放ち続けた。
「太陽の季節」で鮮烈な文壇デビューを飾った。媚びず恐れず、新しい感覚と発想で既成概念の打破に挑戦し、独創的な文学を構築して脚光を浴びた。
政界進出後もその姿勢はいささかも変わらない。旧弊因襲に囚われず、抵抗勢力と戦い、己の愛国心と信念に従い理想を求めて果敢に行動し、改革に尽力した。
いちいち功績を数え上げたらキリがない。国会議員や大臣として、更に都知事として、国民のため、都民のため、氏ほど身を挺して活躍した人物を他に知らない。
左翼勢力や敵国による執拗な「極右」のレッテル貼りがイメージを捻じ曲げたが、決して偏った思想家ではなく、公平無私で良識的な正しい政治家だった。
歯に衣着せず敵国を糾弾し、パヨクを叩き、無能なジャーナリストを叱る姿が印象深いが、何より日々の生活を豊かにし、明日に希望を持たせてくれる指導者だった。
名もなき庶民の声に耳を傾け、ひとつひとつ身近な問題を全力で解決してくれる人情味溢れる親父で、だからこそ東京の下町で、圧倒的な人気と支持を誇ったのだ。
どこぞの「聞く力」自慢の間抜けとは違う。石原御大は「聞く力」に加え、鋭い感性と判断力、実行力を兼ね備えていたから、風見鶏にはならずグダグダに迷走もしなかった。
仮に総理大臣の椅子に座れば、稀代の名宰相として記憶に刻まれただろう。他国に阿ることなく、国際社会で堂々たる存在感を示す「日本の顔」と成ったに違いない。

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