江戸時代の寺子屋は学年も学期もなく随時入学可能だった。明治時代になって新政府が大学や学校を作るとき、随時と云うわけにもいかないだろうと、9月入学の制度を導入した。先進国の制度をそっくり真似たのだ。もちろん欧米から招く先生たちの都合も考慮したに違いない。
そのまま大人しく100年以上が過ぎれば、世界の国々と同様、9月入学がわが国に定着し、今さら国際化云々で変更を検討する必要などなかった。海外に留学するにせよ、逆に帰国するにせよ、タイミングのズレなく国際間の移動が可能だった。
ところが、国際的な観点に立たず、入学時期を春に変更したの明治時代の役所だ。役人はいつだって視野が狭い。日本を開国し欧米と並ぶ近代文明国たらんと意を決した明治の元勲と、それなりに時代が安定してから奉職した小役人では考え方の基本が違う。管理し易いからと、教育上の学年を、政府予算上の年度である4月から翌年3月に無理矢理変更してしまった。
以降、4月入学はわれわれ日本人にとって春の風物詩になった。桜の花びら舞う頃、可愛らしいおチビちゃんたちが真新しいランドセルを背負う。これはこれでいい。でも留学や帰国時のズレはいかんともしがたいし、残念なことに教育鎖国みたいな状態が続いている。
東京大学が秋入学に変更すると云うなら、いっそ全ての大学が右に倣えで9月入学にしてしまえばどうか。いや、もっと徹底的意に幼稚園から高校まで全て9月を新学期にすればいい。もともと7月、8月の長い夏休みを同じ学年に挟むのは非効率だ。9月から6月までぶっ通しでしっかり勉強し、学年と学年の間にしっかり充実した休みを取るほうが合理的だ。
嫌だ。日本の伝統を守るべきだ。日本人の入学は桜の季節なのだ。と、こだわる向きもあるだろうが、歴史を紐解くと、明治政府が4月から3月に至る予算年度を採用したのは、当時の最強国だった英国の制度を真似ただけだ。わが国はいろいろな制度を諸外国から取り入れては消化してきた。学校を9月開始に偏向しても、抵抗を感じるのは最初の1、2年だ。すぐに慣れて、やはり朝晩ひんやりし出す初秋こそが入学シーズンだよね、になると思う。何たって学問の秋と云う。