憲法と聞いただけで震え上がるような格式か権威を感じる人もいるようだが、たかが法律に過ぎない。法律の総元締みたいなものだから、数多の一般法と一緒に出来ないが、それでも法律には違いない。技術革新や社会構造の変化で時代遅れになったルールはどしどし改正すべきだし、憲法も然りだ。
ところが護憲派と呼ばれる人々の意識は常人と違う。こと憲法に関しては、一言一句たりとも変えてはならぬと、目を吊り上げ髪振り乱して絶叫する。自衛隊と日米同盟が日本の平和を守る現実を無視して、現行憲法こそが平和の礎だと、天を仰いで合掌する。こうなるとまるで宗教だ。
護憲派にとって日本国憲法は聖典であり、占領軍の若き米兵が綴った拙い文章は神の福音だ。信じる者は救われる。疑いの心を持つ者は地獄に落ちる。護憲こそが平和と幸福の鍵、天国への階段だと賛美し、改憲派を憎むべき悪魔と決めつける。憲法が地上の楽園を建設すると妄信して、信者獲得に精を出し、果ては己の信心深さに感動して随喜の涙を流す。
さしずめ神の御言葉をもたらしたご本尊はマッカーサー元帥か。信者たちが日本国憲法の文言を唱和しつつ、マッカーサー像に祈る姿を想像すると笑えてくるが、新興宗教なんて案外そんなものか。但し護憲派の場合、純然たる宗教心は感じられず、宗教の体裁を取った反日勢力に見えるところが怖い。
いざとなれば、テロ行為だって辞さぬ戦闘意志が垣間見えるし、何故か朝鮮半島との繋がりも強い。護憲、護憲と騒ぐ民主、生活、共産、社民などの政治家やその支持者は、オウム真理教ならぬ、護憲真理教信者と呼ぶべきかなと思う。