2015年06月18日

元少年Aと「サムの息子」法

かってニューヨーク中を震撼とさせた連続殺人事件を題材にした、スパイク・リー監督の映画作品「サマーオブサム」(1999年)をご覧になった方もいると思う。

1977年の蒸し暑い夏に起きた陰惨な実話で、犯人は David Berkowitz、通称「サムの息子」Son of Samと呼ばれた男だった。

幸い犯人は捕まり、何百年もの禁固刑を受けて現在も服役中だが、その後も「サムの息子」が人々の記憶から消えることはない。

なぜなら、犯人の逮捕直後、その手記を求めて大手出版社が高額報酬を約束した事実が露見して、一般市民の怒りを買い、「サムの息子」法が制定されたからだ。


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2015年06月12日

「違憲」と吠える学者犬

最近はあまり見かけないが、昔は学者犬と呼ぶ大道芸があった。利口な犬に芸を仕込む、猿回しの犬版みたいな見世物だ。

「1足す1は?」と尋ねられてワンワン吠える、くだらない芸もあれば、適当にばらまいた数字の札から正解の「2」を選ぶ、高度な技もあった。

犬が頭を使う訳じゃない。一度覚えさせれば、餌欲しさにひたすら同じ動作を繰り返すだけで、そこが犬畜生の悲しさだが、見物客は喜ぶ。喝采が沸き、おひねりが飛ぶ。

さて、先日、国会の安保法制審議に登場した憲法学者たちは、カワイクもないし、お利口さんでもないが、学者犬を思わせる。


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2015年03月19日

どーせいと云うのだ、同性婚!

同性愛は好みの問題だろう。他人がとやかく云うべき筋合いじゃない。性同一性障害と呼ぶ人もいて、障害とつく以上、ある種の病状かも知れないが、ま、お大事に、としか云いようがない。

なかには結婚式を挙げるゲイカップルもいる。へええ、男同士や女同士でねえ、と意外性はあるが、誰が損する話でもなく、結婚式場は確実に儲かる。勝手にやればいい。

しかし、結婚式の真似事なら兎も角、同性の「結婚」っておかしくないか。男と女が所帯を持ち、子を生み育て、社会の基盤を強固にするからこそ、権利や特典が付与されるのだ。


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ラベル:同性婚 渋谷区
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2015年03月03日

ネットで仇討ち

犯罪があれば、警察が動く。犯人逮捕後、取調べた上で裁判所に引き渡す。司法が罪人に罰を与えて償わせる。このシステムが有効に機能すれば問題はない。

しかし、凶悪犯罪でも、犯人が未成年だと警察の動きが異様に鈍い。かと思えば、左巻きの司法が加害者を擁護して、被害者の人権を踏みにじる。

そうなれば、自ら仇を打ってやる!、と決意する人々が登場しても何ら不思議はない。仇討ちゆえ、「義によって助太刀致す」と味方する者も現れる。


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2015年03月01日

待っていた鬼畜

島根県隠岐諸島・西ノ島で育った上村遼太君には、遠い川崎市がどんなところか、想像がつかなかったろう。

島の友人たちが掲げる「遼太がんばれ」の横断幕に送られ、故郷を離れるとき、寂しさと同時に、不安も感じた筈だ。

その一方で、未だ見ぬ都会の生活に期待を抱いたに違いない。転校先でバスケ部に入部したのは、神奈川県を舞台にした「スラムダンク」に憧れていたからかも知れない。

でも、少年の期待や憧れは粉々に打ち砕かれた。待っていたのは、凄惨な暴力の嵐に怯える地獄の日々だった。川崎には鬼畜が住んでいた。


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2014年05月03日

憲法記念日に占領憲法を捨てる!

憲法記念日なんぞやめちまえ、と思う。進駐軍から押し付けられた占領政策を、憲法と呼ばされるなんて、屈辱以外の何物でもない。何が記念だ。ばかばかしい。

そりゃ敗戦直後の昭和22年は、そうも云えなかったろう。丸裸にされ打ちひしがれた日本に、強大な神として君臨するマッカーサー将軍が作った憲法だ。心のなかで泣きながらも有難く押し頂いたろう。新憲法公布だと云われれば、万歳三唱も演じただろう。


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2013年11月17日

婚外子が壊す「家族制度」って何?

婚外子の遺産相続を嫡出子と同等にする民法改正に賛成すると、読者の皆さんから批判的なコメントが届く。なるほどなあと頷いたり、そうかなあと首を捻ったりしつつ拝読したが、こちらの考えは変わらない。親が婚姻関係にないからと云って、罪もない子供を差別するのは嫌だ。

但し、民法改正に反対する人たちの感情も多少は分る。誰だって自分の家族は大切だ。家族の平和がかき乱される場面を想像すれば、冗談じゃないと思うだろう。正妻の立場なら、婚外子なんて、ゆゆゆ許さないわっ!と頭に血を上らせたりもする筈だ。


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分らないのは「家族制度」だ。反対派の保守派議員は盛んに、婚外子に関する民法改正は家族制度を破壊すると声を上げる。しかも「わが国固有の」とか「伝統の」とか冠をつけて、制度がぶっ壊れれば、日本が丸ごと終わるような大袈裟な表現だ。ところが、奇妙なことに「家族制度」とは何を指すのか、一向に語らない。

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2013年11月06日

もう一度云う。婚外子も愛しい父の子だ!

自民党が婚外子の遺産相続に関する民法改正案を了承した。婚外子の遺産相続分は嫡出子の半分とする規定が削除され、同等の請求権を得る。野党も同様の改正案を提出済みだから、早々に法改正が実現する。与野党間で揉めずに法案成立に至るのは例外的だが、やはり時代や環境の変化に即して法律を刷新するのが、国民の総意なのだ。

とは云え、相続規定の改正に関して反対意見もある。当ブログでこの話題を取り上げて「婚内子も婚外子も、皆、愛しい父の子だ!」をエントリした際、読者の皆さんから批判を浴びた。重婚や不倫の奨励だ、家制度や社会秩序の崩壊だ、引いては国体の喪失だと云う保守派の不安。妾の子は日陰に生きろ、最高裁の裁判官を全員罷免せよと云う過激な怒り。さらに外国勢力による日本侵略の企みを指摘する声まであって驚いた。


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ラベル:婚外子 相続規定
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2013年09月05日

婚内子も婚外子も、皆、愛しい父の子だ!

最高裁が婚外子の相続に関する民法規定を違憲と判断した。婚内子の半分しか貰えないのは、命の値段が半分と云われたようなものだと、奇妙な理屈を述べる原告女性に同情する気は起きないが、最高裁の判断は妥当だ。母親が正妻か妾か、それだけの理由で子供の扱いを変えるのは不当だ。

 

 

 

 

男の立場から見て、相手が本妻であれ二号であれ、わが子は愛しいわが子だ。母親が誰であろうと、父と子の距離は等しい。認知すれば養育義務を果たすのはもちろん、自分の死後は財産を分け与えたい。財産遺留分の半分を妻が取り、残り半分を子供たちが均等に分ける。そこに腹違いの子供が加わるなら、仲良く公平に分けてやりゃいいじゃないか。

 

ところが最高裁判断を問題視する保守派の声が大きい。やれ伝統的な家庭を破壊するとか、不倫を助長するとか、なかにはわが国を弱体化させる敵国の仕業だと大袈裟な陰謀論まで聞く。なぜ婚外子の相続額が変わると日本が壊れるのか、ロジックがさっぱり判らない。

 

いろいろな事情により、事実婚もあればシングルマザーもいる。国際結婚も多い。いずれは同性婚だって増えるかも知れない。こうした環境変化を考えれば、法律も適宜、時代に合わせて修正すべきなのだ。

 

ちなみに明治31年(1898年)に制定された旧民法上の家制度は、江戸時代の武家社会に倣い、確かにエリート社会の伝統が生きていた。しかし戸主の絶対的権限、一族郎党の扶養義務など、家に人々を縛りつけ、個の自由や尊厳を著しく阻害する不健全な制度だった。

 

敗戦後の被占領憲法があろうとなかろうと、明治の家制度は、風雪に耐えて永続するシステムではなかったのだ。過去にノスタルジーを感じる人々が多いのは判るが、大昔の決め事や常識で、罪も責任もない子供たちを差別するのは馬鹿げている。

 

 

 

 

 

 

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2013年05月06日

安倍総理の背番号「96」は感涙モノだ!

ううう、感動したぞ。うるっときたぞ。なんて美しいセレモニーなのだ。国民栄誉賞の始球式を見て心が震えた。

 

 

 

 

「4番、サード、長嶋」とアナウンスを聞くだけで涙ぐむじゃないか。その昔、後楽園球場で見た勇姿を思い出す。どの試合でもここぞと云うところで必ず打ち、誰よりも華麗な守備で観客を酔わせた。随分お爺さんになったなあと感じさせるが、それでも眩しいオーラを全身から発している。さすがだ。

 

松井は立派な現役引退セレモニーが出来て本当によかった。巨人時代はもちろん、米ヤンキースの一員として大活躍した英雄だ。謙虚に黙々と仕事をこなしチームプレイに徹するマツイこそビジネスマンの理想像だと、ニューヨークの不動産王、トランプ氏が絶賛したくらいだ。ひっそりと引退しちゃいけない人だ。

 

伝説の大物ふたりと並ぶ以上、脇役もそれなりの人物を、と云う意味か、原監督がキャッチャーとは豪華な配役だ。幾つになっても若大将は格好いいし、華やかな場が似合う。かってはチャンスに打てず、ガラスの4番などと揶揄された時代もあったけど、立派な監督になってよかったなと思う。

 

さて、安倍総理だ。本来、球審役を務めるなら、プロテクターとマスクをつけるべきだ。長嶋さんは打つ気満々だったし、松井の球が逸れたから良かったようなものの、ファウルチップで球審が怪我する怖れもあった。それでもあえてユニフォーム姿で登場したのは、やはり「96」の数字を背負いたかったんだろう。

占領憲法は諸悪の根源であり、憲法改正は心ある国民の悲願だ。是非とも96条の改正発議要件を緩和して、日本国民の総意に基づく憲法を手にしたい。左巻きカルトが泣いて喜ぶ9条を破棄して、まともな国になりたい。国民栄誉賞のセレモニーでうるうるするんだもの、憲法改正祝典など開催されたら、感動してオイオイ泣いてしまいそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

posted by yohkan at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 憲法・司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする