1977年の蒸し暑い夏に起きた陰惨な実話で、犯人は David Berkowitz、通称「サムの息子」Son of Samと呼ばれた男だった。
幸い犯人は捕まり、何百年もの禁固刑を受けて現在も服役中だが、その後も「サムの息子」が人々の記憶から消えることはない。
なぜなら、犯人の逮捕直後、その手記を求めて大手出版社が高額報酬を約束した事実が露見して、一般市民の怒りを買い、「サムの息子」法が制定されたからだ。

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最高裁が婚外子の相続に関する民法規定を違憲と判断した。婚内子の半分しか貰えないのは、命の値段が半分と云われたようなものだと、奇妙な理屈を述べる原告女性に同情する気は起きないが、最高裁の判断は妥当だ。母親が正妻か妾か、それだけの理由で子供の扱いを変えるのは不当だ。
男の立場から見て、相手が本妻であれ二号であれ、わが子は愛しいわが子だ。母親が誰であろうと、父と子の距離は等しい。認知すれば養育義務を果たすのはもちろん、自分の死後は財産を分け与えたい。財産遺留分の半分を妻が取り、残り半分を子供たちが均等に分ける。そこに腹違いの子供が加わるなら、仲良く公平に分けてやりゃいいじゃないか。
ところが最高裁判断を問題視する保守派の声が大きい。やれ伝統的な家庭を破壊するとか、不倫を助長するとか、なかにはわが国を弱体化させる敵国の仕業だと大袈裟な陰謀論まで聞く。なぜ婚外子の相続額が変わると日本が壊れるのか、ロジックがさっぱり判らない。
いろいろな事情により、事実婚もあればシングルマザーもいる。国際結婚も多い。いずれは同性婚だって増えるかも知れない。こうした環境変化を考えれば、法律も適宜、時代に合わせて修正すべきなのだ。
ちなみに明治31年(1898年)に制定された旧民法上の家制度は、江戸時代の武家社会に倣い、確かにエリート社会の伝統が生きていた。しかし戸主の絶対的権限、一族郎党の扶養義務など、家に人々を縛りつけ、個の自由や尊厳を著しく阻害する不健全な制度だった。
敗戦後の被占領憲法があろうとなかろうと、明治の家制度は、風雪に耐えて永続するシステムではなかったのだ。過去にノスタルジーを感じる人々が多いのは判るが、大昔の決め事や常識で、罪も責任もない子供たちを差別するのは馬鹿げている。
ううう、感動したぞ。うるっときたぞ。なんて美しいセレモニーなのだ。国民栄誉賞の始球式を見て心が震えた。
「4番、サード、長嶋」とアナウンスを聞くだけで涙ぐむじゃないか。その昔、後楽園球場で見た勇姿を思い出す。どの試合でもここぞと云うところで必ず打ち、誰よりも華麗な守備で観客を酔わせた。随分お爺さんになったなあと感じさせるが、それでも眩しいオーラを全身から発している。さすがだ。
松井は立派な現役引退セレモニーが出来て本当によかった。巨人時代はもちろん、米ヤンキースの一員として大活躍した英雄だ。謙虚に黙々と仕事をこなしチームプレイに徹するマツイこそビジネスマンの理想像だと、ニューヨークの不動産王、トランプ氏が絶賛したくらいだ。ひっそりと引退しちゃいけない人だ。
伝説の大物ふたりと並ぶ以上、脇役もそれなりの人物を、と云う意味か、原監督がキャッチャーとは豪華な配役だ。幾つになっても若大将は格好いいし、華やかな場が似合う。かってはチャンスに打てず、ガラスの4番などと揶揄された時代もあったけど、立派な監督になってよかったなと思う。
さて、安倍総理だ。本来、球審役を務めるなら、プロテクターとマスクをつけるべきだ。長嶋さんは打つ気満々だったし、松井の球が逸れたから良かったようなものの、ファウルチップで球審が怪我する怖れもあった。それでもあえてユニフォーム姿で登場したのは、やはり「96」の数字を背負いたかったんだろう。
占領憲法は諸悪の根源であり、憲法改正は心ある国民の悲願だ。是非とも96条の改正発議要件を緩和して、日本国民の総意に基づく憲法を手にしたい。左巻きカルトが泣いて喜ぶ9条を破棄して、まともな国になりたい。国民栄誉賞のセレモニーでうるうるするんだもの、憲法改正祝典など開催されたら、感動してオイオイ泣いてしまいそうだ。