2013年11月17日

婚外子が壊す「家族制度」って何?

婚外子の遺産相続を嫡出子と同等にする民法改正に賛成すると、読者の皆さんから批判的なコメントが届く。なるほどなあと頷いたり、そうかなあと首を捻ったりしつつ拝読したが、こちらの考えは変わらない。親が婚姻関係にないからと云って、罪もない子供を差別するのは嫌だ。

但し、民法改正に反対する人たちの感情も多少は分る。誰だって自分の家族は大切だ。家族の平和がかき乱される場面を想像すれば、冗談じゃないと思うだろう。正妻の立場なら、婚外子なんて、ゆゆゆ許さないわっ!と頭に血を上らせたりもする筈だ。


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分らないのは「家族制度」だ。反対派の保守派議員は盛んに、婚外子に関する民法改正は家族制度を破壊すると声を上げる。しかも「わが国固有の」とか「伝統の」とか冠をつけて、制度がぶっ壊れれば、日本が丸ごと終わるような大袈裟な表現だ。ところが、奇妙なことに「家族制度」とは何を指すのか、一向に語らない。

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2013年11月06日

もう一度云う。婚外子も愛しい父の子だ!

自民党が婚外子の遺産相続に関する民法改正案を了承した。婚外子の遺産相続分は嫡出子の半分とする規定が削除され、同等の請求権を得る。野党も同様の改正案を提出済みだから、早々に法改正が実現する。与野党間で揉めずに法案成立に至るのは例外的だが、やはり時代や環境の変化に即して法律を刷新するのが、国民の総意なのだ。

とは云え、相続規定の改正に関して反対意見もある。当ブログでこの話題を取り上げて「婚内子も婚外子も、皆、愛しい父の子だ!」をエントリした際、読者の皆さんから批判を浴びた。重婚や不倫の奨励だ、家制度や社会秩序の崩壊だ、引いては国体の喪失だと云う保守派の不安。妾の子は日陰に生きろ、最高裁の裁判官を全員罷免せよと云う過激な怒り。さらに外国勢力による日本侵略の企みを指摘する声まであって驚いた。


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ラベル:婚外子 相続規定
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2013年09月05日

婚内子も婚外子も、皆、愛しい父の子だ!

最高裁が婚外子の相続に関する民法規定を違憲と判断した。婚内子の半分しか貰えないのは、命の値段が半分と云われたようなものだと、奇妙な理屈を述べる原告女性に同情する気は起きないが、最高裁の判断は妥当だ。母親が正妻か妾か、それだけの理由で子供の扱いを変えるのは不当だ。

 

 

 

 

男の立場から見て、相手が本妻であれ二号であれ、わが子は愛しいわが子だ。母親が誰であろうと、父と子の距離は等しい。認知すれば養育義務を果たすのはもちろん、自分の死後は財産を分け与えたい。財産遺留分の半分を妻が取り、残り半分を子供たちが均等に分ける。そこに腹違いの子供が加わるなら、仲良く公平に分けてやりゃいいじゃないか。

 

ところが最高裁判断を問題視する保守派の声が大きい。やれ伝統的な家庭を破壊するとか、不倫を助長するとか、なかにはわが国を弱体化させる敵国の仕業だと大袈裟な陰謀論まで聞く。なぜ婚外子の相続額が変わると日本が壊れるのか、ロジックがさっぱり判らない。

 

いろいろな事情により、事実婚もあればシングルマザーもいる。国際結婚も多い。いずれは同性婚だって増えるかも知れない。こうした環境変化を考えれば、法律も適宜、時代に合わせて修正すべきなのだ。

 

ちなみに明治31年(1898年)に制定された旧民法上の家制度は、江戸時代の武家社会に倣い、確かにエリート社会の伝統が生きていた。しかし戸主の絶対的権限、一族郎党の扶養義務など、家に人々を縛りつけ、個の自由や尊厳を著しく阻害する不健全な制度だった。

 

敗戦後の被占領憲法があろうとなかろうと、明治の家制度は、風雪に耐えて永続するシステムではなかったのだ。過去にノスタルジーを感じる人々が多いのは判るが、大昔の決め事や常識で、罪も責任もない子供たちを差別するのは馬鹿げている。

 

 

 

 

 

 

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2013年05月06日

安倍総理の背番号「96」は感涙モノだ!

ううう、感動したぞ。うるっときたぞ。なんて美しいセレモニーなのだ。国民栄誉賞の始球式を見て心が震えた。

 

 

 

 

「4番、サード、長嶋」とアナウンスを聞くだけで涙ぐむじゃないか。その昔、後楽園球場で見た勇姿を思い出す。どの試合でもここぞと云うところで必ず打ち、誰よりも華麗な守備で観客を酔わせた。随分お爺さんになったなあと感じさせるが、それでも眩しいオーラを全身から発している。さすがだ。

 

松井は立派な現役引退セレモニーが出来て本当によかった。巨人時代はもちろん、米ヤンキースの一員として大活躍した英雄だ。謙虚に黙々と仕事をこなしチームプレイに徹するマツイこそビジネスマンの理想像だと、ニューヨークの不動産王、トランプ氏が絶賛したくらいだ。ひっそりと引退しちゃいけない人だ。

 

伝説の大物ふたりと並ぶ以上、脇役もそれなりの人物を、と云う意味か、原監督がキャッチャーとは豪華な配役だ。幾つになっても若大将は格好いいし、華やかな場が似合う。かってはチャンスに打てず、ガラスの4番などと揶揄された時代もあったけど、立派な監督になってよかったなと思う。

 

さて、安倍総理だ。本来、球審役を務めるなら、プロテクターとマスクをつけるべきだ。長嶋さんは打つ気満々だったし、松井の球が逸れたから良かったようなものの、ファウルチップで球審が怪我する怖れもあった。それでもあえてユニフォーム姿で登場したのは、やはり「96」の数字を背負いたかったんだろう。

占領憲法は諸悪の根源であり、憲法改正は心ある国民の悲願だ。是非とも96条の改正発議要件を緩和して、日本国民の総意に基づく憲法を手にしたい。左巻きカルトが泣いて喜ぶ9条を破棄して、まともな国になりたい。国民栄誉賞のセレモニーでうるうるするんだもの、憲法改正祝典など開催されたら、感動してオイオイ泣いてしまいそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年05月04日

狂気の平和憲法カルトの顔ぶれを見よ!

憲法と聞いただけで震え上がるような格式か権威を感じる人もいるようだが、たかが法律に過ぎない。法律の総元締みたいなものだから、数多の一般法と一緒に出来ないが、それでも法律には違いない。技術革新や社会構造の変化で時代遅れになったルールはどしどし改正すべきだし、憲法も然りだ。

 

ところが護憲派と呼ばれる人々の意識は常人と違う。こと憲法に関しては、一言一句たりとも変えてはならぬと、目を吊り上げ髪振り乱して絶叫する。自衛隊と日米同盟が日本の平和を守る現実を無視して、現行憲法こそが平和の礎だと、天を仰いで合掌する。こうなるとまるで宗教だ。

 

護憲派にとって日本国憲法は聖典であり、占領軍の若き米兵が綴った拙い文章は神の福音だ。信じる者は救われる。疑いの心を持つ者は地獄に落ちる。護憲こそが平和と幸福の鍵、天国への階段だと賛美し、改憲派を憎むべき悪魔と決めつける。憲法が地上の楽園を建設すると妄信して、信者獲得に精を出し、果ては己の信心深さに感動して随喜の涙を流す。

 

 

 

 

さしずめ神の御言葉をもたらしたご本尊はマッカーサー元帥か。信者たちが日本国憲法の文言を唱和しつつ、マッカーサー像に祈る姿を想像すると笑えてくるが、新興宗教なんて案外そんなものか。但し護憲派の場合、純然たる宗教心は感じられず、宗教の体裁を取った反日勢力に見えるところが怖い。

 

いざとなれば、テロ行為だって辞さぬ戦闘意志が垣間見えるし、何故か朝鮮半島との繋がりも強い。護憲、護憲と騒ぐ民主、生活、共産、社民などの政治家やその支持者は、オウム真理教ならぬ、護憲真理教信者と呼ぶべきかなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

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2013年05月03日

ゴロツキの街で女性を素っ裸で歩かせる日本憲法!

占領軍が押し付けた現行憲法は邦訳が下手だったため、珍妙な表現が多い。なかでも酷いのが前文だ。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」・・・何だコレと思い、GHQ作成の原文を読んだら、該当の部分はこうだ。

 

We have determined to rely for our security and survival upon the justice and good faith of the peace-loving people of the world.

 

笑っちゃうではないか。歌の文句じゃあるまいし、何が peace-loving people of the worldだ。平和を愛することは万民に等しい感情であれ、現実の国際社会は国家間で争い、しのぎを削る無法地帯だ。国家の防衛や自国民の生存を放棄して、他人任せに出来る訳がない。

 

しかも、間抜けな前文に加え、9条で戦争放棄と武力の不保持を謳うのだから気違い沙汰だ。日本はまさに丸裸にされた妙齢の女性で、周囲は血に飢えた狼みたいなゴロツキばかり。何が起こるか大人なら簡単に察しがつく。

 

 

 

 

こんな憲法を、1952年の主権回復後も後生大事に抱えてきたかと思うと、本当に恥ずかしくて情けない。周辺敵国の手先と化した左巻きが幾ら護憲、護憲と喚こうが、憲法改正は心ある日本国民の悲願だ。改憲に邁進する安倍政権を熱く支持したい。

 

ところで、憲法を話題にするなら是非、皆さんにお薦めしたい本がある。イザブログでもお馴染み、産經新聞ワシントン特別委員、古森義久さんの「憲法が日本を滅ぼす」(海竜社)だ。

 

 

 

異様な憲法が如何に国力を毀損しているか、日米同盟を弱体化させているか、現代のアメリカが日本に改憲を望む理由、さらにTPPや靖国に対する考え方など幅広く論じている。巷にあふれる護憲論者や反米論者の嘘を木っ端みじんに打ち砕く正論が満載だ。

 

また、本の後半に、実際に憲法を作った元GHQ職員ケーディス氏のインタビューが載っている。これこそ、まさに歴史に証言だ。読んでいて興奮する。憲法記念日だからこそ是非読むべき名著だ。

 

 

 

 

 

 

 

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2013年04月15日

タイガーウッズも納得!憲法を改正せよ!

マスターズで優勝したのはアダムスコットだが、あわやの失格騒ぎで注目を集めたのはタイガーウッズだった。3日目、15番ホールでタイガーが放った3打目はピンを直撃したが、ボールは反動でころころと転がり、手前の池に落ちた。スーパーショットが池ポチャとは可哀想だが、問題はその後だ。元の場所から打ち直す筈が、2ヤード左方向後ろにボールをドロップしてしまったのだ。

 

ゴルフのルールブックには、池ポチャの打ち直しは元の場所か、あるいは「ボールがハザート境界線を横切った地点とホールを結ぶ線上の後方」にドロップせよと書いてある。迂闊なミスと云えばその通りだが、プレー中、本人はもちろん、競技委員も含めて周囲の誰も気がつかなかった。テレビの視聴者が見付けて局に通報したと云うから、異様な眼力の凄さに驚く。

 

翌朝、2打罰が課され、このホールの成績が「6」から「8」になり、タイガーは優勝から遠ざかった。しかも前日の試合後、「6」と記入したスコアカードを提出済みだから、これまたルールに従い、過少申告による競技失格の罰則を適用すべきとの意見まで出た。しかし、大会運営側は自らの責任を認め、試合続行可と判断した。「正当な措置と判断したときは、例外的な事例に限り、競技失格の罰を免除したり修正することができる」と云う条文もルールブックに明記されている。

 

このところ復調著しいタイガーだが、まだまだ幸運の女神には微笑んでもらえない。でも、この2打罰にはあっさり納得したと云う。なぜならルールが明確だからだ。さて、本題はここからだ。ちょっと強引だが日本憲法の話だ。

 

憲法は法律の法律であり、ルールブックの総元締めだ。わが国では学者や議員や裁判官が憲法の条文を取り上げ、どういう意味か論じて、自らの考えや思想を述べるが、コレって奇妙な話だ。何を云ってるのか分らず、様々な解釈が成り立つとすれば、ルールブックとして無意味じゃないか。どんなに立派な学者だろうと、いや逆に世間知らずだろうと、読めば即座にルールが理解できなくちゃいけない。

 

解釈で誤摩化さないと辻褄の合わぬ非現実的な憲法は愚の骨頂だ。そして、何とでも解釈できるような粗雑な文章をルールの元締め扱いすれば、社会は混乱する。マッカーサー将軍の命令下、占領軍の若き米兵たちが1週間ででっちあげた稚拙な原文に、珍奇な訳文をあて、不磨の大典として神聖視するほどバカバカしいことはない。

 

 

 

 

本来は破棄すべき、どうしようもない現行憲法だ。不備な点をどしどし改正して、まともなルールブックにしよう。解釈論議に無駄なエネルギーを費やすのはくだらない。池ポチャする度に、さあルールをどう「解釈」したものかと、プレーヤー同士で神学論争をするようになったら、ゴルフは成り立たない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年03月26日

違憲だ!無効だ!法曹界の反日勢力が狂喜乱舞!

広島高裁が原告の訴えを認めて選挙無効判決を出した。狂喜乱舞する原告代表の金尾哲也弁護士は「広島弁護士9条の会」の呼びかけ人でもある。どんな思想背景を持った連中が動いているか一目瞭然だ。昨年末の衆院選が違憲だ無効だと大騒ぎするのは左翼の跳ね上がりだ。予想されたこととは云え、民主や未来など朝鮮系政党の大敗北が余程悔しかったに違いない。

 

この無効判決を受けて、民主党の細野幹事長は「政権の正当性に対し非常に厳しい判断が下された」などと勝手なことをヌカす。ちょっと待て。広島高裁の判決は広島1区と2区だけの話ではないか。広島の裁判長が地元選挙の一部に無効を言渡しただけで、国民の期待と支持を集める安倍政権にイチャモンをつける気か。モナ男もいい度胸してるじゃないかと片腹痛い。

 

ついこの間も「一票の格差」なんて戯言は放っておけ(マッカーサーも仰天!「一票の格差」のバカっぷり!)と書いた。そもそも憲法は平等原則は謳うが、議員あたりの投票数なんぞに一言も触れていない。勝手な解釈で裁判所が違憲判決を下していいのかと大いに疑問だ。しかし選挙無効となれば、放っておくわけにも行くまい。ここはいっそ、立法府が然るべき選挙法を作り、ある程度の格差も許容して運用管理すべきではないか。

 

 

 

 

もっともその立法府が違憲なの!無効ったら無効なの!と左巻きの弁護士や裁判官が喚くのだろう。放送界どころか法曹界にまで反日勢力が入り込んでいるので、話はややこしい。ハナから左に傾いた秤で勝手な判決を出すなと云いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年03月07日

マッカーサーも仰天!「一票の格差」のバカっぷり!

先の衆院選が「違憲」だと聞いて驚いた。「一票の格差」ごときを訴える原告も原告だが、大真面目に審理して、う〜む、確かに違反だ、と認める裁判所は何を考えているのだ。原告の弁護士グループは上告してまだ争う気らしいが、そいつらは何者か。如何なる政治的な目的で裁判沙汰にしたのか、先ずは素性や思想背景を徹底的に洗うべきだ。

 

そもそも人口過密な都市もあれば、過疎地と呼ぶ田舎もある。議員ひとりあたりの有権者数が選挙区で異なるのは自然な成り行きで、その数を以って「格差」と呼ぶのは筋違いだ。各地域の代表を選ぶのに、議員ごとの有権者数を平均化すれば、国政に反映されるのは大都市の声ばかりになってしまう。ソレっておかしくないか。しかも現実には、「一票の格差」は千葉4区と高地3区で僅か2.43倍しかない。まさに誤差の範疇だ。

 

アメリカの上院議員は全米50州から各州ふたりづつ選出される。州により人口差があるから、日本の弁護士グループみたいな連中がいれば、大騒ぎするだろうが、その格差たるや桁違いに凄い。人口を比較すると最大のカリフォルニア州で37百万人、最小のワイオミング州は50万人しかいない。つまり単純計算で、カリフォルニアの一票の価値はワイオミングの74分の1しかないのだ。でも誰も問題にしない。全米に均衡ある発展をもたらすための知恵だからだ。

 

思うに、こうしたアメリカの選挙制度に慣れ親しんだ占領軍が、敗戦後の日本に憲法を押し付けた際、「一票の有権者数を同じにしろ」と命令する筈がない。今回の判決に至る過程で、裁判所が何を根拠に憲法違反と判断したか知らないが、よほど捻じ曲げた解釈をしたか、あるいは支離滅裂で意味不明瞭な現行憲法の欠陥が露呈したに過ぎないだろう。

 

 

 

 

憲法自体がロクでもないのだから「一票の格差」なんて戯言は放っておけばいい。もちろん、跳ね上がりの弁護士グループは文句を云うだろうが、悔しかったら過疎地に行け。田舎じゃなかなか弁護士稼業も難しいとは思うが、一票の「価値」だけはある。

 

 

 

 

 

 

 

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2012年11月09日

人権法ゴリ押しで野田の顔が醜くむくんだ!

9日付産経新聞が「きょう人権救済法案を閣議決定」(リンク)と報じた。余命幾ばくもない民主党政権が、人権法にここまで必死になる理由は何なのだ。それさえ果敢に実行すれば、支持率だって上がる筈の震災復興も経済対策も領土防衛も、全て放ったらかしにする無能で無気力な政府にして、この熱意と執念は異様だ。

 

察するに野田内閣は、人権法成立を望む同党の支持母体から、かなり強烈なプレッシャーをかけられているのではないか。相手は強面のいる組織だ。「高層ビルのテッペンから墜ちたいのか」、「コンクリート詰めにされて東京湾に沈められたいのか」、くらいの励まし(?)の言葉を貰っていても不思議はない。

 

実際、人権法の閣議決定に反対していた松下大臣は、2ヶ月前、突如「自殺」と称する謎の不審死を遂げた。その直後、内閣は慌てて法案を閣議決定し、さらに人権法案推進派だけを重用する内閣改造を行った。その頃から野田の顔がむくみはじめ、奇妙なほど生気のない土気色になった。心身に異常をきたすほどのストレスを抱えているようだ。

 

さて、既に多くの国民が気づいているとおり、人権法案は日本人を弾圧するための道具だ。警察や裁判所とは全く別次元で思想統制機関を作り、日本人から言論の自由を奪う一方で、「特定の人々」が自らの利権を守り、さらなる特権を獲得するための方策なのだ。こうした悪意に満ちた狙いがなければ、現行法ですべての人権問題が解決しているわが国に、新しい法律など必要ない。

 

 

 

 

凄まじい脅しと暴力にマインドコントロールされた野田が、支持団体の意向に沿って人権法成立に努力しても、本人は救われない。もう一度云うが、人権法は日本人を弾圧する道具だからだ。野田も最後はコンクリート詰めにされる可能性がある。そりゃ怖い。つい毎日、一升酒を飲んでしまう気持ちが分からないでもない。

 

 

 

 

 

 

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