「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ。岡田さんの会社だって、みんながみんな、同じように働いているワケはないでしょ?」予想外の答弁に、質問者の当時の岡田克也民主党代表は、フランケンシュタイン面を引きつらせていたっけ。今、思い出しても笑える痛快な小泉節だ。
さて、もうひとつ、誰もが記憶する名曲が「東京だョ、おッ母さん」だ。弱冠19歳の島倉さんが1957年に飛ばした爆発的大ヒットで、レコード販売は150万枚にも達した。本人主演の映画も当たったと云うから、当時はアイドル歌謡的な要素もあったのだろう。まさに島倉さんの代表曲だから、追悼の意味合いを込め、この曲があちこちのメディアで紹介されていると聞く。
但し残念なコトに、この曲、2番の歌詞は絶対に流れないのだとか。ウソみたいな話だが、NHKや民放の放送コードによる検閲に引っ掛かるらしい。当時の日本人にとって日常風景だった九段坂、即ち靖国神社が、現代のメディアにとって禁忌になっているのだ。特亜の毒にここまで汚染されているのかと思うと、頭がくらくらする。
日本人の心を歌ってくれた、お千代さんのご冥福をお祈りします。
ラベル:島倉千代子 東京だョ、おッ母さん
私は島倉千代子のヒット曲は「人生いろいろ」だけかと思っていました。「東京だョ、おッ母さん」は知りませんでした。「人生いろいろ」とは声がずいぶん違いますね。私、こちらの声のほうが好きです。
動画ありがとうございます。東京観光した気分になりました。
2番の歌詞のどこが禁忌なのか分かりません。まったく、どこの国のメディアなんでしょうね。
遠くロスからこの話題。感謝します。
高齢の母は、お陰様で健在なのですが離れて暮らすため、ブラウン管(古)に島倉千代子さんが映る度に…母を想い出しました(容姿は似てない何故。笑)
ご指摘のとおり「東京だョ…」の2番。ぜひぜひ肉声で聴きたかったですね〜〜。
っクッソー!!って感じです。
島倉千代子さんはその昔、大スターだったのです。ヒット曲も沢山ありましたよ。
「東京だョ、おっ母さん」の2番を禁忌にするって、ホントにどこのメディアなんでしょうね。表向きは日本でも、たぶん中身は支那か朝鮮でしょう。
ファンであろうとなかろうと、島倉さんは、多くの日本人にとって、遠く離れて暮らすおっ母さんみたいな存在だったかも知れませんね。
東京だョの2番を毛嫌いするメディアが許せませんよ。戦争で家族や友人や恋人を失った人々にとって、靖国はかけがえのない聖地なのです。
一方で、ありもしない特亜・朝日の嘘で戦前戦後を学習するような歴史が蘇っている。
近現代史、は学校でも駆け足でスルーに近い箇所だから、個人レベルで独学出来るから真実を知るきっかけになっている。
島倉千代子全盛の時代は、戦後復興と日本の高度成長を求めて韓酷からの密入国者が、大勢船で押し寄せてきている時代です。
マルハンの鮮人もこの頃密入国しているんじゃないですか?
日本人は、自分のことが精一杯で密入国まで気が回らない時代でもあります。
地方紙は連日のように報道していた記憶があるな〜。
当時の海岸線は、それほど過疎地ではなかったはずだが、夜陰に紛れて、密入国して散っていくパターンですね。
それが、今問題を起こしている。帰韓してもらうしかないね。
入ってくる人間を選ぶ権利は、日本にある。
当時の違法入国は、今でも違法だ。永久に消えない。
島倉千代子さんのヒット曲と言えば「人生いろいろ」ですね。
リアルタイムで知ってる唯一の曲だし、昭和史を締めくくった
唄でもあったし、島倉さん自身の人生を詠ってるような曲でしたね。
「東京だよ おっ母さん」、動画で初めてフルで聞きましたが
2番の歌詞を何故メディアで流さないのか疑問ですね。
「九段坂」だけで戦争を想像するなんてキチガイ以外の何者でのありません。
島倉千代子がデビューしたのが、1955年だとか。ご指摘の通り、朝鮮半島からの密入国が盛んだった時代ですね。
日本人が自分のことで精一杯で無関心だったことも事実でしょうが、敗戦直後に横暴を極めた朝鮮人への恐怖心や、乞食同然で密入国してくる連中への侮蔑もあって、見て見ぬフリをしたのがマズかったように思います。
「人生いろいろ」は島倉さんならではの歌でしたね。あたしはどうしても小泉さんを思い出して、笑っちゃうのですが。
「九段坂」と聴いただけで、戦争賛美や九条否定と思い込んで、言論弾圧に走る左翼の異常さには呆れるばかりです。
edwalker
To: yohkanさん。おはようございます。
今日は2連発。
すっごい巨乳だったんすよ。ぅひひ ←えげつない
晩年はキーが変わりましたね。残念ですが・・・・
子供の頃、音楽の先生も認めるボーイソプラノだったので、昔のキーの曲は歌いやすくとっても好きでしたね。
ひばりさんの追っかけで、亡くなったときも3日もつきそったとか・・・・彼女もそうしてもらえたかしら。
「左翼のクソども」め、こんな思い出までって感じで腹が立ちますね。どんどん追放しなければいけません。大方密入国なんでしょうから。
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え?何が二連発ですか!?もしや、きょきょ巨乳??
おっと、 edwalkerさんは高音の奇麗なボーイソプラノでしたか。今もきっと素敵な歌声なんでしょうね。
左翼のクソ共が台頭したのは、60年代、70年代以降ですよね。ソレ以前は結構、真っ当な日本だったのです。
島倉さんは世代的にほとんど聞いたことはないのですが、私の母がデビュー前くらいから知っていたそうで、よく品川界隈ののど自慢や選挙(?)などに駆り出されていたと聞かされました。
ゆえに同郷らしいということで親近感は勝手に持っておりましたね。
顔立ちは田舎臭い(差別的な物言い御免なさい-苦笑)ですが、実際は東京(品川)出身と思いますので、歌詞はどこまで実感なのかなどと野暮なことはやめておきましょう(笑)
2番ははじめて知りましたが、この程度で自粛(事実上禁止?)するとは、異常極まりない。
メディアの言葉狩りは、行きつくところ、自らの言論世界の規制強化につながるとわからないんでしょうか?
NHKも安倍さんの意を汲む百田さんや、長谷川さんが経営委員になられたことで、膿が出せるといいのですが..
合掌。
島倉さんは子供の頃から歌が上手で、品川界隈では有名だったらしいですね。ほほう、三助さんも品川のご出身ですか。
メディアの言葉狩りは、支那や朝鮮の意向によるものでしょうね。NHKなど、とんでもない売国奴集団ですよ。仰る通り、是非、膿を出して欲しいですね。出なければ、潰せばいいと思います。
お話の「東京だョおっ母さん」は昭和32年のヒット曲。「もはや戦後ではない」と宣言されたころ。東京タワーもまだ建設中。五輪招致もようやく決まったぐらいの時代でしょう。
東京の名所を歩く親子の絆が目に浮かぶ歌詞ではありませんか。知らない世代にも伝わってきます。問題の2番が特にそう。桜、九段坂。戦後10年ほどしかたっていない時代が窺えます。それを「放送禁止歌」同然に扱うのは不可解です。
似たような事例では「仰げば尊し」の「身を立て名をあげやよ励めよ」が歌われなくなったことが浮かびます。九段坂イコール靖国イコール戦争、立身出世イコール富国強兵、といった左翼の単純かつ情緒的な思考が歌の世界にまで入ってくる現実に、ため息が出ます。マスコミが島倉千代子さんを語るときに「人生いろいろ」ばかり強調するのも「東京だョおっ母さん」をわざとかすませようという魂胆なんでしょうね。
やはり島倉さんのヒット曲と云えば、「人生いろいろ」になるんでしょうね。「東京だョ、おッ母さん」は古いですもの。
でも、いい歌ですよね。当時の世相を反対してます。日本中で、戦争で亡くなった最愛の家族を悼む気持ちが強かった。当然ですよね。
その自然な愛情を「戦争賛美」と決めつけて一種の言論弾圧をはたらく左翼メディアに対する怒りが膨れ上がります。
「仰げば尊し」で「身を立て名をあげやよ励めよ」が歌われなくなったとは知りませんでした。も〜世の中、狂ってますよね。狂いっぷりが酷過ぎます。