ピンポーン♪。玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けると、ふたりの男が深々とお辞儀をしている。
「おくつろぎのところ、誠に申しわけございません」
小太りの男はそう云うと、もう一度頭を下げた。うしろに立つのがたぶん部下なのだろう。のっぺりした顔の男も慌てて頭を下げる。
「わたくし、こういう者です」
小太りが差し出した名刺には、「BKD商事、TPP営業部長、野田佳彦」とある。こちらが名刺を受け取ると、また深々とお辞儀をした。気がつけば、自分の靴の先を舐めている。極度に低姿勢だ。
むっくり頭を上げると、小太りは語り出した。
「実は投資案件をご紹介致しております。ほんの数分で結構でございます。お話だけでもお聞き頂けませんでしょうか」
ここで声を落とした。「確実な儲け話です」
「間にあってます」こちらがドアを閉めようとしたら、家内が廊下を小走りにやってきた。「いいじゃないの、お話聞きましょうよ」
儲け話のひと言が聞こえたのだろう。女はこれだから困る。そんなに上手い話をセールスマンが持ってくるものか。
立ち話も何でしょう、と家内が男ふたりを招き入れた。小太りはまた深々とお辞儀をして靴先を舐める。器用な奴だ。
「では、さっそく」居間に落ち着くと、小太りが切り出した。
「本日ご説明させて頂くのはTPPファンドと申します。アメリカを中心にした国際的な投資案件ですが、安全性と健全性については、かのオバマ大統領様が太鼓判を押しております。投資分野は工業、農業から医療、保険などのサービス迄ほぼ全ての産業を網羅しており、まさにグローバルな成長先取り型のプランになっております。太平洋を取り囲む国々が互いに関税を取り払い、貿易自由化を進めて経済成長を確固たるものにしようと云う崇高なる精神がこのTPPの特徴でございます。」ここまで一気にまくしたてると、こちらの顔をちらりと見た。「お分かりですか?」
「いいえ、ちっとも分かりません。あんたは何も具体的なことを云ってない。」不満げに答えると、小太りはのっぺり顔に向かって云った。「前原君、資料を出して下さい」
そうか、のっぺり顔は前原と云うのか。胡散臭そうな奴だな。
広げた資料には、「急成長」「国際化」「将来性」などの大きな文字が踊る。ありったけの美辞麗句が並ぶ。そうかと思えば、世界の孤児になっていいのかとか、バスに乗り遅れるなとも書いてある。但し説明らしい説明は何もない。何だかさっぱり分からない。とにかく怪しい。
「如何でしょう。TPPにご興味があれば、先ずは一度ご参加頂くのがよろしいかと」そう云うと小太りはボールペンを差し出して、資料の最終ページの署名欄を指し示す。
「ご参加になればいろいろなことが分かるのです。儲け話に躊躇は禁物です」
のっぺり顔が身を乗り出した。
「取り敢えずご参加頂き、あとでお嫌であれば自由におやめになればいいんです」
もじもじしながら、家内が尋ねた。「で、どのくらい儲かるんですの?」
「内閣府の試算では2.7兆円となります」小太りが自信に満ちた声で答える。
これを聞いて、怒りが爆発した。
「ふざけるな!」思わず発した大声に自分でも驚いた。「それは10年間の試算ではないか!だだだ騙し討ちみたいな話ではないか」ボールペンを投げ捨てた。「そのうえ、農水省は11兆円の損失と云っている」
怒りがさらにこみ上げてきた。
「か、帰れ。お前達なんか帰れ!」
怒鳴り声に仰天したのか、ふたりはさっと立ち上り、玄関へと後ずさりをはじめた。「かか、帰ります。帰ります。ららら乱暴はいけません」
玄関先で靴をひったくるように取ると、外へ駆け出ようとするふたり。おっと、これだけは聞いておかなきゃいけないぞ。「おい、ちょっと待て」
小太りとのっぺり顔を睨みつけながら尋ねた。「一体、お前らは何が売りたいんだ?」
ふたりは顔を見合わせると、一瞬そんなことも分からないのかと、ひとを小馬鹿にする表情を浮かべた。そして声を揃えた。
「国です!」