2012年10月06日

平和主義はいらない!力なき正義は無能なり!

マニラで開催中の拡大海洋フォーラムで、日本の代表が「『力は正義』を正当化するな」と訴えた。敵国を名指しで批判したわけでもないし、個別の領土問題に触れた発言でもないが、尖閣諸島の領有権で日支間で緊張が高まっているのは周知の事実だ。穏当な表現ではあれ、権益を暴力的に拡張する支那への警告として、国際社会は重く受け止めただろう。

 

但し、警告を発するなら、演説中に「平和的な解決」を再三繰り返す必要はなかった。乱暴狼藉をはたらく不埒者をいさめる以上、調子に乗ると唯ではおかぬぞ、と脅さないと何の効果もない。この二本差しが目に入らぬかと、こちらが刀の柄に手をかけるから、悪党もこりゃまずいと怯む。平和的にお話しましょうね、そんな優しい言葉を聞いて、そうだよね〜と頷く相手なら、チベットの仏教徒たちをなぶり殺したりはしない。

 

 

 

 

いつも感じるのだが、わが日本国は平和、平和と云い過ぎる。平和主義こそが人類の理想だと信じ込み、それさえ唱えていれば、国際社会から賞賛を浴びる筈と誤解している。中には憲法9条を世界遺産に登録しようと云う馬鹿までいて、救いようがない。平和が理想的な状態であることに異論はないが、平和を守るのは武力だ。戦って、戦い抜いて、守るべきが平和だ。こんなことは、世界中の誰もが知っている常識だ。

 

だから戦いを放棄して、ただひたすら平和でさえあればいいと云う「平和主義」、英語のPacifismには、無抵抗とか消極的とか日和見とか、ネガティブな意味合いが必ず含まれる。場合によっては、ずる賢く立ち回るとか卑怯者とか、軽蔑的なニュアンスさえある。そりゃそうだろう。自国民の生命や財産を全力で守らない国家など役立たずだし、世界の秩序と安全を維持するために応分の責任を果たさない国家は、国際社会のメンバーたる資格がない。

 

図体こそ大きいが、支那は掟破りで粗暴な後進国だ。戦前からアジアの盟主として君臨してきた日本にこそ、支那を抑え込んで欲しいと願う世界中の人々の気持ちは昔も今もかわらない。わが国が如何に毅然として支那と対峙するか、国際社会は期待を込め、息を殺してじっと見つめている。中共政府の圧政下で苦しむ少数民族だって、日本の活躍を必死で祈っている。

 

「力の正義」を信じて暴れまわる国を抑え込むには、こちらが「正義の力」を発揮するしかない。平和主義のお題目を唱えてもダメだ。「力なき正義は無能なり」と云うじゃないか。

 

 

 

 

 

posted by yohkan at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 国防 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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