すべては創造は模倣から出発する。芸術であれ工業製品であれ、模倣を躊躇う理由はない。模倣を通じて、何が感動させるエッセンスなのか理解できるし、テクニックも学べる。しかし、独自のアイデアや技術を生かす「創造的模倣」であるべきだ。さもないと剽窃になってしまう。
その剽窃に対し厳しい判決が下された。アップルのiPhone特許訴訟だ。カリフォルニア州連邦地裁は、サムスンによる特許侵害を陪審員評決で認定した。該当製品は既に販売差止めとなっている上、サムスンは10億ドル以上の賠償金支払い義務を負う。アップルの全面勝訴だ。
サムスンが負けた理由は明解だ。同社がアップルのアイデアや技術を盗み取り、何ら新たな価値を加えることなく、単純に模倣したからだ。韓国の得意な「パクリ」の犯罪性が国際社会で証明された。盗んでおきながらウリジナルだと開きなおる韓国人の卑怯さに対し、正義の鉄槌が下ったのだ。
冷静に考えれば、他社の技術を盗用でもしない限り、韓国が先端的且つ画期的な製品を生み出せるわけがない。併合前の朝鮮半島の状況を調べてみるがいい。彼らの生活水準は、奈良時代の日本に匹敵するほど遅れていた。その後、わが国の指導や経済援助によって近代化が図られたのは事実だが、表面的には準先進国になっても、文化や知性など中身は後進国のままだ。
日本の家電企業全社が束になっても敵わない筈の世界的企業がやっていることは泥棒だとは嗤える。しかもわが国が供給してやるパーツを組み立てて、破格の安売り攻勢をかけているだけだ。ああいう韓国企業を褒めちぎる日本のマスメディアって馬鹿じゃないか、と思う。