2013年03月18日

安倍総理のTPPに岸総理の日米安保が重なる!

1951年、わが国はサンフランシスコ平和条約と併行して、日米二国間で安全保障条約を締結した。その後、1960年に至り、被占領下で発効したこの旧日米安保を破棄し、両国をより相互に平等な立場に位置づけ、日米共同防衛を義務づける新安保条約を結んだ。岸信介内閣の時代だ。

 

同年1月、岸総理以下全権団が訪米し、アイゼンハワー大統領と会談し新安保条約に調印したが、帰国後に国会が紛糾した。社会党や共産党が徹底抗戦の構えで、批准の妨害に徹した。日米安保条約を是が非でもぶち壊したい敵国、ソ連の指示を受けたのは左翼政党だけではない。総評や全学連も加わって、大規模な「安保闘争」が繰り広げられた。

 

連日、国会議事堂の周辺を数万人規模のデモ隊が練り歩き、アンポハンタイ!アンポハンタイ!の叫び声を上げた。サイカドーハンタイ!を叫ぶ現代のショボい反原発デモに比べれば、100倍くらいの迫力があった。闘争はエスカレートする一方で、機動隊との衝突で東大の女子学生が死亡する事件も起きた。反安保が反政府・反米運動の様相を呈し、赤色革命もあわやと云う不穏な空気すら醸成された。

 

しかし、岸総理は偉かった。議事堂の窓からデモ隊を眺め、平然とこう言い放った。「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通り、賑わっているではないか。わたしには国民の”声なき声”が聞こえる」

 

確かにモノ云わぬ国民の大多数、サイレントマジョリティは新日米安保条約を支持していた。6月に条約が成立後、混乱の責任を取って岸内閣は総辞職。池田内閣が発足して高度経済成長の波に乗るや、安保闘争は急速に萎んで消えてなくなった。その一方で、新安保条約、即ち日米軍事同盟はその後半世紀以上に亘り存続し、日本繁栄の礎となった。1994年に首相となった社会党の村山富市でさえ「日米安保堅持」を謳うほど、わが国の平和と安定にとって不可欠な枠組みとなったのだ。

 

突然、こんな古い話を思い出したのは、TPPに関して結構、沢山の反対論を聞くからだ。社民党や共産党や小沢・生活党などの左翼政党、農協や医師会などの既得権益団体のみならず、一般市民にも強硬な反対論を主張する人々がいる。アメリカの陰謀だと息巻き、日本の破滅だと喚き、TPP交渉参加を発表した安倍総理を売国奴だと侮蔑する者までいる。

 

 

 

 

しかし、現実を見るがいい。TPP交渉に臨むと宣言した途端、内閣も自民党もその支持率がアップしているではないか。一部の過激な批判やデマにもかかわらず、多くの国民はTPP参加こそが経済成長に結びつくと歓迎しているのだ。慎重派が奏でる雑音に惑わされず、サイレントマジョリティの”声なき声”をしっかりと聞いて、TPPに取り組んでくれた安倍総理に感謝したい。やはり偉大なお爺さんの血を引いている。

 

 

 

 

 

 

 

posted by yohkan at 08:57| Comment(0) | TrackBack(0) | TPP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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