本日付産経新聞の一面に「日英で化学防護服開発」の見出しが踊り、その隣にやや小さめの文字で「武器輸出緩和、豪に潜水艦技術」とある。二面で社説が「防衛政策の呪縛を見直せ」と主張し、同面左側の「F35『三原則の例外』、部品製造参入を容認」の記事が目を引く。そうか、ついに武器輸出が本格化するのだな、と嬉しくなる。
自虐史観で自縄自縛に陥り、海外市場を捨てて武器生産を自国向けに限定すれば、調達コストが高止まりして軍備が貧弱化する。同盟国をはじめ他国との共同開発に参画せねば、商売上の機会損失だけでなく、軍事上のプレゼンスが低下するばかりだ。何より、わが国の突出した先端技術を埋もれさせるのはもったいない。今からでも遅くはない。武器輸出大国を目指すべきなのだ。
それにしても、これだけ役立つニュースや建設的な社説で紙面を埋める産經新聞が、なぜトップ記事の脇に的外れな「武器輸出三原則」の解説を載せるのか理解できない。産經は「三原則」なる言葉をこう説明する。
「昭和42年に(1)共産圏(2)国際決議で禁止された国(3)国際紛争の当事国への武器の輸出を禁じ、51年にこれ以外の国にも『慎む』と事実上の全面禁輸にした。その後、米国とのミサイル防衛の共同開発・生産などを例外扱いとし、野田佳彦内閣が一昨年12月に米国以外とも共同開発・生産できるよう緩和したが、「国際紛争の助長回避」の原則は維持。1日発表の官房長官談話では共同生産の部品供給先を『国連憲章に従う国』と明記した」
さすがに大新聞の解説だから、素人のブログとは違って文章が明瞭簡潔だ。しかしこの説明では誤解を招く。まるで武器輸出三原則が禁輸法のような印象を与えるではないか。
歴史を振り返るがいい。昭和42年、即ち今から半世紀前の1967年、佐藤首相が野党の質問に答え武器輸出方針を語った。冷戦下で敵陣営たる共産圏への輸出をしないのは当たり前で、ごく常識的な国会答弁だ。それを「武器輸出三原則」として祭り上げたのは反日マスコミだ。さらに昭和51年、1976年には三木首相が野党から攻められ、その他の地域への武器輸出も「慎みたい」と感想を述べたら、再び反日マスコミが大喜びして「三原則」で全面禁輸だと騒いだ。そして、この程度の軽い方針や感想だったからこそ、審議らしい審議も経ずに、野田政権が緩和出来たのだ。
わが国は法治国家ゆえ、法律を厳格に運用するのは当然だが、逆に法律でも何でもない、環境の全く違う半世紀前の首相の国会答弁や、マスコミのバカ騒ぎが生むムードに流されてはいけない。国政を預かる内閣はその時の環境と情勢により、臨機応変に独自の方針を打ち出せばいい。過去に武器の禁輸方針を打ち出したことがあろうとなかろうと、現時点で輸出すべきと判断するなら断固として実行せよ。緩和もへったくれもあるものか。
新聞が武器輸出器三原則を解説するなら、「過去の首相が国会答弁で表明した、当時の武器輸出に関する方針」だと、必ず注記すべきだ。三原則が法律でも規制でもないと判るだけで、まともな国防議論への障害がひとつ減る。