2013年01月15日

被占領憲法を捨てて堂々と戦う!

「交戦権」とか「集団的自衛権」って言葉に、以前からとてもつない違和感を覚えてきた。日本国憲法にはどうのこうの書いてあると、権利の有無や正当性を巡って議論は果てしなく続くが、冷静に考えて、交戦権とか集団的自衛権なんてホントに権利なのかよ、と疑わしい。

 

例えば「呼吸権」なんて言葉をでっち上げられて、お前には呼吸する権利がないと云われたとしよう。ああ、そうか、俺には権利がないのかと思い直して、息を止めるバカはいない。呼吸できるのは「呼吸権」のお陰だと、人様に恩を着せられる理由もない。息を吸ったり吐いたりするのは権利じゃなくて本能だ。生きるための自然な行為だ。

 

敵に挑まれたら、もちろん武器を取って戦う。自分の命を守るため、自らの国を守るために交戦する。生き延びるための防衛本能の発露だ。だから相手が誰であろうと、お前には交戦権がない、なんて云わせない。戦勝国が押し付けた憲法にそんな文言があるのなら、憲法自体が狂っているのだ。

 

集団的自衛も同様で、権利にはあたらない。利害や価値観や主義主張を共有する仲間と団結し、敵と対峙するのも本能だ。価値観なんて小難しい言葉を知らない原始人だって、そうやって恐竜や敵の部族と戦った。野良犬の喧嘩だって仲間同士で群れて、敵味方で噛み殺し合う。

 

さて、報道によれば、政府が集団的自衛権を容認する方向で方針を固めたそうだ。当たり前だ。って云うか、そもそも容認なる言葉で、渋々許してやるか、みたいな印象を広めることがおかしい。生存本能に従い、味方とがっちりスクラムを組んで、敵をやっつけようじゃないか。アメリカやインドやオーストラリアやベトナム、フィリピンなどの国々と団結し、支那と対峙する時が来た。

 

 

 

 

結局のところ、交戦権とか集団的自衛権とか珍妙な有りもしない「権利」を論じて、わが国から正当な自衛手段を奪おうとする奴らは敵国の手先だ。そいつらが拠り所にする被占領憲法は、徹底的に改正するか、いっそ破棄すべきだ。解釈で乗り切れとの主張も聞くが、杜撰な内容で議論が百出すること自体、ルールブックとして役に立たずの欠陥品に過ぎない。

 

 

 

 

 

 

posted by yohkan at 12:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 国防 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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