2013年05月13日

高市政調会長が村山バカ左翼談話を突き崩した!

談話とは「お喋り」だ。形式張らずに、くつろいだ雰囲気で語ることだ。非公式な談話だからこそ、ざっくばらんな意見や素直な心情が飛び出す。聴く方はふんふんと頷いたり、あれれと首を捻ったりはするが、大抵は軽く聞き流す。席を蹴って立ち上がり、反論するような真似はしない。たかが談話だからだ。

 

世に云う村山談話とは、戦後50周年の節目にあたる1995年8月15日、「終戦の日」記念式典における村山富市首相のスピーチだ。日本の平和と繁栄を築いた国民の努力や諸外国の支援を称えるのみならず、「植民地支配と侵略」が他国民に多大の損害と苦痛を与えたと云って謝罪し、ついでに核兵器の廃絶を訴える内容だった。

 

聞かされた国民は、ああ、そうかい、と聞き流した。謝罪もへったくれもあるかと感じたのは事実だが、村山氏は、ソ連を後ろ盾に、中共や北朝鮮と連携を取りつつ社会主義革命を企んだ日本社会党の党首だ。植民地支配とか侵略とか、左翼用語がどうしても混ざってしまうのだろう。そんな風に思えた。

 

村山氏は談話発表後の記者会見で、天皇陛下に戦争責任なしとか、すべての戦後賠償は済んでいるとか、それまでの政府見解を繰り返した。いくら社会主義者でも、自民党との連立政権を率いる立場ともなれば、談話は兎も角、そうそう反日的な意見を吐く訳にもいかないんだよな、と国民はヘンに納得した。

 

さて、それから20年近く、あの日の「お喋り」がその後もずっと「村山談話」として生きている。新首相が就任する都度、記者連中がマイクを突き付けて、村山談話を踏襲しますか!?と責め立てる。否なんていわさんぞと脅しをかける。そうこうするうちに、村山談話は日本政府の公式見解はおろか、何人も疑いを差し挟んではならぬ「神の御言葉」に祀り上げられた格好だ。

 

 

 

 

この禁忌を破り、村山談話の内容に疑問を呈してくれたのが自民党の高市早苗政調会長だ。「抵抗せずに日本が植民地となる道を選ぶことがベストだったのか」との指摘は鋭い。高市さんに賛成する人も反対する人もいるだろうが、一首相の談話について、いろんな意見があるのは当たり前だ。歴史認識は国が決めて全国民に強制するものじゃない。100人いれば、100人の思想があり、100の歴史認識がある。村山氏ひとりの思想を崇める理由はない。反日左翼のくだらないお喋りは忘れてしまえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

posted by yohkan at 11:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 自由民主党 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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