「在日特権を許さない市民の会」の街宣活動が注目を集める。新大久保や大阪・鶴橋のデモ行進を見ると、たいした行動力だと感心する。自国民への逆差別とでも呼ぶべき奇妙な在日外国人優遇策が長い間放置されてきたのは、理不尽な暴力に対する恐怖心があったからだ。何をされるか分らないと云う怖れが、社会正義を麻痺させ、見て見ぬフリをする空気を生んできた。在特会の勇気溢れる行動はその空気を吹き飛ばし、国民が怯まずに立ち上がるべきだと教えてくれた気がする。
しかし、ここではっきり云う。ヘイトスピーチは最低だ。「殺すぞ」とか「朝鮮人を駆除せよ」なんて言葉は恫喝であり、あからさまな人種差別だ。相手が凄まじい反日感情に身悶えする連中であれ、卑怯な手を使い特権を享受する身分であれ、あるいは敵国の出身者であれ、不法滞在者であれ、人種を理由に罵詈雑言を投げかけて良い理由にはならない。第一、子供じゃあるまいし、いい歳した大人がみっともない。
そもそも万民平等こそ、誇るべき日本伝統の思想ではないか。1919年、パリ講和条約会議で人種差別撤廃条項を提案したのはわが国だ。評決は11対5で賛成多数だったにもかかわらず、議長のウィルソン米大統領が独断で否決したが、100年近くも前に人種差別の根絶を提唱した意義は大きい。その後、日本は八紘一宇のスローガンの下、アジアの被差別民族を解放するため大東亜戦争を遂行したが、同盟国ドイツの求める反ユダヤ政策は断固として拒否した。歴史を振り返れば、日章旗や旭日旗を掲げて歩く愛国者たちに、ヘイトスピーチほど似合わぬものはない。
在日特権、即ち通名の公的使用にせよ、特別永住資格にせよ、朝鮮人経営者の多いパチンコ業の賭博行為の容認や、地方税の減免や安易な生活保護支給にせよ、正すべきはわが国の社会制度だ。平然と違反行為を認める政治や役所の責任を糾弾し、法律の厳格な運用を求めるべきだ。こればかりは新大久保や鶴嘴の外国人居住者に文句をつけ、脅したところで、どうしようもない。
在特会のデモが在日特権の実態を国民に知らしめる目的なら、銀座や渋谷などの繁華街が相応しいし、為政者に制度運用の改善を求めるなら、霞ヶ関や国会議事堂前に行けばいい。より本格的な国民運動に発展させようと思えば、ヘイトスピーチなんかやめて、常識的な行動に徹することが肝要だ。