2022年12月23日

暗殺の2022年

年の瀬を迎え、メディアが例年の如く1年間の重大ニュースを報じる。あれ?国内外を問わず衝撃を与えた安倍総理暗殺事件、いや、彼らの呼ぶ「銃撃事件」の扱いがヘンに小さい。

ロシア軍のウクライナ侵攻や英女王陛下の逝去あたりと並ぶのは分からないじゃないが、大谷翔平選手の大活躍や五輪汚職の元理事逮捕との同列扱いには違和感を覚える。

その銃撃事件にしても、参院選の応援演説中の惨劇とは云え、自民党圧勝後の統一教会騒ぎや閣僚による相次ぐ辞任を、毎度毎度わざわざ絡めて語るのは何故なのだ?

暗殺を有耶無耶にしたいか、印象を薄めたいか、あるいは、出来ることなら記憶から消してくれ、とでも云いたいか。事件に焦点を当ててなるものか、との彼らの決意が滲むようだ。

聞くところ、保守寄りの産経新聞ですら、社内で安倍氏の暗殺を扱うなと御布令が出ているとか。安倍憎しに燃えた朝日・毎日他のマスゴミなら悪意で事件を矮小化するのも頷ける。

アベガー報道とは裏腹に、生前の功績に対する世界的な高評価が注目を浴びれば、政界に影響が及ぶだけでなく、自分たちの欺瞞性が露見するとマスゴミはビビっている。

もっとも、意図的に暗殺事件を隠し矮小化するのはそんなシンプルな理由だけじゃないだろう。事実を表沙汰に出来ないトンデモな裏事情ありと勘繰らざるを得ない。

西大寺駅前の異様に手薄な警備が、県警やSPの単純ミスである筈がないし、山上の玩具みたいな手作り銃に殺傷能力はない。(観衆の注意を引く空砲だったのだろう)

向かい側のビルに敏腕スナイパーがいたか、あるいは総理を囲む自民党関係者がミニ銃で撃ち殺したか、確たる状況は掴めぬものの、計画的且つ組織的反抗だったに違いない。

銃撃直後の救命医と奈良県警による銃創に関する説明の食い違いや遺体から消えた謎の銃弾について、政府もメディアも真相を追求する様子なく、じっと口をつぐむばかり。

奈良市長の意向か、道路整備を理由に駅前のガードレールは撤去され、暗殺を記す銘板ひとつ置かぬとか。銃弾同様、肝心の暗殺現場が跡形もなく消滅してしまう。

ケネディ暗殺事件のオズワルドよろしく、山上を殺害する手筈も密かに整っているのだろう。暗殺に関わった者たちが次々に命を落とせば、事件は完璧に迷宮入りする。

それでも2022年の総理暗殺事件は刻み込まれた記憶から消えはしない。われわれは安倍さんの多大な功績を称えると共に、いつまでも不可解な暗殺事件を語り継ぐ。


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posted by yohkan at 10:24| Comment(43) | TrackBack(0) | 指定なし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする