2022年09月10日

日本人の宗教

「あなたの宗教は?」を尋ねられると、日本人の多くが「無宗教」と答えるらしい。コレが海外であらぬ誤解を招く。神をも認めぬ野蛮人か、猿以下かと顰蹙や軽蔑を買う。

実際は無宗教ではなく、特定宗教に拘らないだけだ。神社への初詣や神輿を担ぐ祭り、墓参り・お盆の先祖供養、年末のクリスマスと宗教性溢れる行事が生活を彩る。

例え一攫千金や受験合格、交通安全、恋愛成就や病気平癒等々の現世利益の祈願であれ、そこには高次の霊的存在に対し手を合わせる宗教心がある。

但し、日本人の信仰心は確かに薄い。祈りの対象が絶対的価値を有するとは思わず、無条件に帰依するつもりなど毛頭ない。献身的姿勢を示す様子もなく、敬虔さには程遠い。

日本独特のカジュアルで軽やかな、と云うか、かなりイイ加減な信仰のあり方は、万物に宿る霊魂を祀るアニミズムの感性が古代から脈々と受け継いでいるからか。

あるいは、教義と無縁な神道の影響か。(明治政府は神道の国教化を意図したものの、ドグマの欠如で頓挫し、仕舞いには宗教ではなく国家祭祀に過ぎぬと認めた)

いやいや、数々の宗教行事に携わり、精神世界を尊重しながらも「無宗教」と自覚するのは、かって山本七平氏が指摘した通り、多くの日本人が「日本教」の信徒だからだろう。

山本氏によれば、究極の神を認めぬ日本教は「人の和」に至高の価値を置く。集団への同調のみを尊ぶ社会では、論理や倫理の明確な宗教など成り立ち得ない。

そもそも信仰も信念も、善悪の基準すら然したる意味を持たない。仲間や味方との同一感に酔い、運命共同体ごっこに興じるだけなら、個々の意思や判断はむしろ邪魔になる。

気配を察し空気を読み、雰囲気を乱さず流れに乗る。社会や組織の強者による上意下達に、疑義を呈さず抵抗もせず、従順に振る舞うことこそが、日本教徒の信仰心の発露だろう。


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posted by yohkan at 12:05| Comment(126) | TrackBack(0) | 指定なし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする