2022年07月30日

戦術としての暗殺

安倍ロスが続く。悲しみと寂しさが癒えず、喪失感に苛まれ、頭痛と眩暈によろめく。コレじゃいけない。偉業を偲ぶ保守系雑誌でも読み、元気を取り戻すか。

と買ったのが月刊Hanadaの9月号。安倍総理ご自身の絶筆はじめ、名だたる論客による渾身の追悼記事に触れ、心は感動に震えるが、元気は出ない。むしろ涙が出る。

そしてページをめくりつつ生前の偉大さを感じれば感じるほど、頼れる船長を失った日本丸は海図も羅針盤も持たぬまま、荒波に漂流してしまうのか?と不安に襲われる。

昭恵夫人が葬儀で語った通り、安倍総理が撒かれた種が芽吹くと期待したいが、花は咲くのか? 日本社会の土壌が腐っているなら、芽が出てもマトモには育たない。

詰まるところ、暗殺の号砲は日本を滅亡に追いやるターニングポイントになったと、後の歴史書に書かれぬとも限らない。いや、ソレこそが敵側の狙いに違いない。

国際協調による集団安保体制構築、憲法改正、富国強兵政策を率い、さらに第三次政権誕生の可能性すら噂された指導者の暗殺は、敵勢力による乾坤一擲の対日攻撃だったのだ。

敵軍の大将クビを獲れば味方の勝利との発想は、まるで戦国時代のようだが、そもそも現下の国際情勢は、群雄が割拠して覇権を争う戦乱の世に他ならない。

敵国にラッパ衆を送り込み撹乱工作や要人暗殺を謀るのは、低コストで効果的な戦術だろう。無論、「ヘイ、ヨー、メン♪♪」のラッパーではなく、忍者・スパイによる謀略だ。

国家間の熾烈な生存競争が絶えることはなく、妄想の平和主義が成り立つ余地はない。武力衝突があろうとなかろうと、政治や経済や情報、テロをも含む総力戦が続く。

勝者は敗者の領土と富を奪い、人々を支配下に置き人権を蹂躙する。この中世的発想にこだわる後進的な国家群が、21世紀の今に至るも、わが国の周囲には確かに存在する。


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ラベル:安倍晋三 暗殺
posted by yohkan at 13:29| Comment(105) | TrackBack(0) | 指定なし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする