2020年03月06日

涙溢れる忠犬物語

日本人の様々な美徳が先の敗戦によって失われた、と嘆く声を聞く。例えば「忠義心」なんて言葉は死語と化し、最早、時代劇か歌舞伎の台詞くらいにしか使われない。

辞書に拠れば、主君や国家に対し真心を尽くして仕えるとの意。民主主義よコンニチワ、立憲君主制よサヨウナラで、国家意識が消え失せた戦後日本だもの、この言葉が忘れられるのも無理はない。

とは云え、嬉々として私生活を犠牲にし、過酷な長時間労働に励むサラリーマンを見れば、対象が君主・国家から会社・上司に変わろうと、忠義の精神は決して絶滅していないと判る。

給与アップや昇進狙いの「滅私奉公」演技など、忠義心ではないと否定する向きもあろうが、武士や軍人のソレも処世術だったかも知れない。人のやることは、いつの時代もそう変わらない。

勿論、誰もが認めるホンモノの忠義心もあり、歴史上は「忠臣蔵」がその典型か。どう考えてもバカ殿でしかない浅野内匠頭に忠誠を尽くし、命を投げ打った赤穂浪士は今も尊敬の対象だ。

身近なところでは、渋谷駅前の「忠犬ハチ公」がいる。銅像が手垢で黒光りするほど観光客が撫で回す人気の源泉は、上野先生に対し愛犬が捧げる忠義心への感動だ。

アレは犬畜生の餌欲しさだなんて、ツマラヌ解説は聞きたくない。無心に主人を愛し、信じ、その逝去も知らず、ひたすらに待ち焦がれるハチ公の姿に、世界中の人々が感涙で頬を濡らす。

雨の日も風の日も、帰らぬ主人をじっと待つ老犬の真似など、そうそう出来る筈もない。「忠義心」なる言葉が通じない現代で、ソレがやれるのは、たぶん、自民党の二階幹事長くらいだろう。

如何なる状況にあろうとも、主人を愛し、信じ、慕い、常に真心を尽くして献身的奉仕に徹する。江戸時代の殿様なら「あっぱれな忠義心」と、褒美を摂らせるレベルに違いない。

尻尾をふって習近平にすがりつく姿は、氏の名誉と尊厳をいささかも傷つけるモノではない。むしろ、日本国民から心ない非難を浴びようとも、決して揺るがぬ盲目的な支那愛が胸を打つ。


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posted by yohkan at 09:45| Comment(103) | 自由民主党 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする