2019年12月08日

狂将、山本五十六が亡国を招いた!(再掲です)

「本日は大東亜戦役開戦のハワイ攻撃の日」と、読者の三助さんからお言葉を頂き、思い出した。そうだ、今日こそ忘れちゃいけない、日本史に刻まれるべき大事な日なのだ。

よっし、それならと、新たにエントリしようと思い至り、文言を書き連ねるうちに、ふと気付く。以前にこのテーマは取り上げたよね、と。アレコレ書いたよね、と。

検索したら、あるじゃないの。僅か5年前に書いたものだもの。ブログ主の気持ちは変わらない、ってコトで、再掲載させて貰おう。手抜きっていやぁ、手抜きだが、許して欲しい・・・

<再掲>

1941年12月8日、連合艦隊による真珠湾攻撃が報じられると、日本全国が熱狂した。大本営発表による噓の大戦果を信じて、対米英戦の勝利を確信した。ところが、冷静に振り返ると、眠れる獅子のアメリカを揺り起こして激怒させたものの、真珠湾攻撃には戦果らしい戦果は何もなかった。

本来、標的とすべき敵の空母はいなかったし、撃沈したのはスクラップ寸前の老朽戦艦が二隻だけだ。他の戦艦も一度は沈めたものの、真珠湾が遠浅であるため、その後、あっさりサルベージされた。破壊した敵機は200機にも及ばない。その上、敵基地の石油タンクも海軍工廠も手つかずで無傷だった。

それでも真珠湾は、帝国海軍に然したる損害が生じなかったからまだマシだ。僅か半年のミッドウェー作戦では、敵を上回る海軍力を有しながら、空母4隻を含む戦艦を一挙に失った。どうして負けたか分らないと、世界中の海軍関係者が頭を捻るような、無茶苦茶な作戦展開と指揮の大混乱で自滅した。


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posted by yohkan at 20:15| Comment(39) | 指定なし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする