2015年11月22日

三島由紀夫、再び

産経新聞の一面に「三島由紀夫」の文字が躍る。何かと思えば、自衛隊市ヶ谷駐屯地に乗り込み、自決してから、25日で45年になると云う。

へええ、もうそんなに経つのか、と驚く。衝撃的な事件だっただけに、今も記憶は生々しい。まるで昨日の出来事のようだ。

しかし、ここで三島の自決を語るつもりはない。正直なところ、自衛官相手に青ざめた表情で演説する姿や、総監室の床に置かれた本人の首など、思い出したくもない。

壮絶な死に様は、世間を騒然とさせた。しかし三島の死後、いつまで、玩具の兵隊みたいな軍服姿ばかりが、取り沙汰されるのか。

三島由紀夫は文学の世界における天才だった。狂気にも似た美意識で、めくるめく虚構の舞台を構築し、鬼気迫る人間ドラマを描き出す異能だった。

若い頃からの三島文学の熱心なファンとして一言云わせてもらう。彼の自決を讃え、憂国の思想を誉めそやす風潮には、違和感を覚える。なぜなら、あの死は・・・

と書き出して、ふと、思い出す。あれ?2年前にエントリしてるじゃないの。それならいっそ、再掲載すればいい。決して手抜きじゃないことは判って欲しいw

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戦前の軍部には、共産主義を妄信する将校達がいた。1931年の三月事件、十月事件は、陸軍将校が引き起した国家転覆クーデター未遂事件だ。翌1932年の515事件では、海軍将校が犬養毅首相を暗殺した。1936年の226事件は、皇道派の陸軍将校が1500名近い兵を引き連れて閣僚を襲い、警視庁、参謀本部や東京朝日新聞を占拠した。


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posted by yohkan at 10:33| Comment(44) | TrackBack(1) | 指定なし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする