2015年07月18日

聖徳太子の日本的無責任体制と安倍首相

聖徳太子は17条の憲法で「和を以て貴しとなす」と訓んだ。憲法全文から察するに、理を以て公正に議論すべく、「無駄に争うなよ」と云う戒めだった。

太子がわざわざこの言葉を憲法の冒頭に挿入するくらいだから、当時のわが国には人の和も議論もなく、血で血を洗う抗争が日常茶飯事だったに違いない。

幸いにして太子の思惑通り、血まみれの惨事は減ったものの、残念ながら議論が出来る国にはならなかった。不毛の国会論戦を見れば、それが判る。

いや、「和」の精神は日本社会に生きている、と指摘されそうだが、そっちも怪しい。何を勘違いしたのか、場の空気を読んで、仲良しごっこに徹するのが、日本人の習い性になった。

云うまでもなく、見せ掛けの協調性を演じつつ、議論すら放棄すれば、まともな意思決定は不可能だ。

横並びの参加者がお手々繋いで輪を作り、真ん中がポッカリ空くドーナツ型の日本社会ゆえ、全体を統括し、判断して方向を決める機能は存在しない。

ふと気づけば、そもそも誰が何をするか、仕事分担も権限も責任範囲すら決められない。勝てる状況なら、俺が俺が、と出しゃばる奴ばかりになり、負ければ誰も彼も我先に逃げ出す(笑)


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posted by yohkan at 12:30| Comment(43) | TrackBack(1) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする